夜空に咲く恋

第七十五話 心の抵抗

「はあっ、はあっ……」
「蒼さん、大丈夫? 少しは落ち着いた?」

 蒼は苦悶と謝罪の涙を流し続けた後、漸く落ち着きを見せ始めた。二人はベンチに座り、ゆったりと流れる乙川を眺めながら話す。

「颯太君、ごめんね……こんな事になっちゃって。私、面倒臭い女だね……」
「そんな事ないよ。蒼さんは……ただ優しいだけ」

「もうっ颯太君!? 私を喜ばせてどうするのよ! また私を苦しめるつもり?」
「あっ、ご、ごめん……」

「ふふっ。冗談だよ。私の事を『優しい』って言ってくれるのなら、そうやって気遣いしてくれる颯太君だって優しいんだよ」
「蒼さん……」

「ほらほら、しんみりするのは止めよ? って、私が言ってる場合じゃないか」
「ふふっ」

 少しずつ元気を取り戻し始めた蒼に、颯太も安堵の笑みを見せる。するとここで蒼は徐に立ち上がった。そして自分に勢いをつける様に言う。

「さてとっ!」

(はあ……ついにこの時が来ちゃった。私が今日ここに来てしたかった事……朱美ちゃんの為にも、颯太君の為にも、自分の為にも……最後にやらないといけない事……)

 昨夜、颯太から呼び出しを受けた蒼は心に三つの大きな思いがあった。一つ目は颯太から言葉で告白に対するノーの返事を聞く事。二つ目は颯太と朱美を苦しめてしまった「青い花火」を希望した告白について謝罪する事。そして三つ目は……

(私、颯太君の事はもう好きで居たらいけないんだよね……颯太君の事をちゃんと諦めないといけないんだよね……)

「蒼さん?」

 突然立ち上がった蒼の行動に、颯太が不思議そうに声を掛ける。立ち上がった蒼は颯太から一歩離れ、颯太に背中を向けて話し始める。

「ねえ颯太君? まず一つ私のお願いを聞いて。今から私の顔は見ちゃダメだよ?」
「えっ、何で?」

「いいの。何も聞かずに黙って聞いて」
「うん、分かったよ……」

(ふふっ。颯太君は本当に素直で優しいな……何も聞かずにお願い聞いてくれるなんて。あーあっ、颯太君が素直で優しいから……準備、できちゃったよ。もう少し抵抗してくれても良かったんだけどな……)

 蒼は颯太に気付かれない様に深呼吸をし、自分の気持ちに区切りをつける為の言葉を颯太に伝え始める。

「ねえ颯太君? 颯太君と朱美ちゃんは付き合う事になったの?」
「えっ? ……えええっ!?」

 全く想定外の角度から飛んできた心の最深部を直撃する一言に颯太は慌てふためく。颯太は即答できない。しかし答えは言わなければならない。颯太は動揺を抑えて蒼に答える。

「蒼さん、聞いて」
「うん……」

(ああっ、来ちゃうよ……颯太君の答えを聞いたら私はっ……私はもうっ、颯太君の事をっ!)

 蒼の心境を察すること無く、颯太は無慈悲に答えを言う。

「蒼さん……俺、朱美と両想いになったんだ」
「ああっ……あああっ……」

 蒼が両手で顔を覆って下を向く。蒼は颯太に背を向けている為、その詳細な様子が颯太に伝わる事は無い。

 中学三年生の夏、大手学習塾の夏期講習で偶然隣に座った颯太。真面目に勉強に取り組む姿に目を奪われる様になった颯太。高校になって奇跡的な再会を果たした颯太。高校で一緒に沢山の思い出を作って来た颯太。ずっとずっと想いを寄せてきた片思いの対象である颯太を……これ以上好きでいてはいけない。

 質問に対する颯太からの答えで強制的に終わりにされた自分の恋を思い返し……一年以上颯太の事を想い続けてきた自分の恋を思い返し……蒼の目から涙が溢れ出る。顔を覆う両手の端から涙が零れ落ちる。

(ああっ……颯太君っ! 颯太君っ!!)

 蒼は再び泣き始めた。颯太は再び寄り添う様に蒼の肩に手をかけようとするが、蒼はそれを拒絶する。

「ダメ! 颯太君、さっきお願いしたでしょ! 『今から私の顔は見ちゃダメ』って!」
「あ、うん……」

 蒼はこうなる事が分かっていた。颯太が自分を心配して寄り添ってくれる事が分かっていた。こうなる事を見越して……事前に準備したブロックである。

(ありがとう颯太君……颯太君はいつも優しくて生真面目で……こんな時でも私を心配してくれる颯太君の事……好きになって本当に良かったよ)

「ああっ……ああっ……」

(颯太君は朱美ちゃんと恋をするんだよね? もう……私は颯太君の事を好きで居たらいけないんだよね? 私はもう颯太君に恋をしたらいけないんだよね?)

「ああっ……ああっ……颯太君っ、朱美ちゃんっ……」

(やだっ……やっぱり嫌だよっ。ああっ……颯太君、お願い。お願いだからもう少し付き合って。私、この話が終ったら……この場を離れたら……颯太君の事をちゃんと諦めるから……あと少しこの場に居させて! お願いっ! あと少しだけ! あと少しだけ! ……颯太君を好きで居る事を許してっ!)

「ああっ、ああっ……」

 颯太との話が終ったら蒼の恋は終わる。この場を離れたら蒼の恋は終わる。蒼はこの場に居る時間が少しでも長くなる様に……そう願う想いが感情と裏腹の言葉を口から続けざまに出してしまう。

「ああっ……ねえ颯太君? 自分で言うのも何だけど……私、結構可愛いし性格も良いと思うし、それなりに魅力的だと思うよ? ああっ」

(えっ、やだっ私っ……何を言ってるの!?)

「うん……俺もそう思う」

 突然自分を褒め始めた蒼の言葉に颯太は驚くが、素直な本音の返事で答える。蒼は感情の整理がつかないまま……嗚咽と共に口が勝手に動く。

「あはっ……『そう思う』って! だったらどうして私を振るのよっ? もうっ……私を振っておいて、後で後悔しても知らないよ? ああっ、ああっ……」

(だ、だから私っ……どうしてこんな事を言っちゃうの!?)

「蒼さん、ごめん……」

「ねえ、颯太君?」
「うん?」

「颯太君は花火の色を決める時、悩んでくれた?」
「うん。凄く悩んだよ」

「本当? 本当の本当に?」
「本当だよ。凄く悩んで、滅茶苦茶悩んで……蒼さんに告白された日からずっとずっと悩んで悩んで……最後の最後まで決められなかった」

「そっか……ありがと、颯太君」
「えっ?」

「だって……颯太君が悩んでくれたその時間は……その時間はっ……私は颯太君の心の中に居られたって事でしょ? ……ああっ!」

(ああっ……やだっ、私っ……私っ!!)

「うん、勿論だよ」

「そっか……私は自分がした告白を後悔してきたけど……『青い花火』をお願いしちゃった告白を後悔してきたけど、今の颯太君の言葉を聞いたら、あの告白も……『青い花火』の告白も悪くはなかったかな? ってちょっと思ったりして。ああっ……」
「蒼さん……」

(やだっ! ……私っ、何を言ってるの? 颯太君を困らせて……こんな時まで優しい颯太君を困らせる様な事を言って! ……私っ、最低だっ!)

「あれっ、変だな。私、どうしちゃったんだろう? ……ああっ、ああっ、ごめんね颯太君。私、こんな事を言うつもりじゃなかったのに。あははっ、私って本当に面倒くさい女だね」

(ああ、そうか……きっとそうだ。颯太君とこの話が終わったら……この場所を離れてしまったら……私の恋が終わっちゃう。終わっちゃうから……私の心が拒絶してるんだ。『少しでも! あと一秒でも! 長くこの場所に居たい!!』って心が必死に抵抗してるんだ……『もう少しだけ颯太君の事を好きで居たい!』って勝手に口を動かしてるんだ……)

「蒼さん?」

「ああっ、ああっ……何かごめんね。自分でも何を言ってるのかよく分からないや。あははっ」

「うん……」

「ああっ、颯太君と朱美ちゃん……二人は結ばれちゃったか。でもしょうがないよね! だって、二人は七歳の時からずっと赤い花火の約束を覚えていて……高校生になってやっとそれが叶った! こんなロマンチックな話、他に無いもんね!」

「蒼さん、ありがとう……」

「いいよいいよ、もうっ、ああっ……だって七歳の時からでしょ!? 七年? 八年? それってもう人生の半分じゃん! ……きっと、ずっと二人は想い合ってきてたんだもんね!」

「うん……多分、そうだと思う」

(もうっ颯太君! そうやって細かい節々でしっかり認めちゃう生真面目さが……その優しさが……今の私にとって本当に残酷なんだよっ。ああっ、颯太君!)

 短い言葉でもしっかりと答える颯太の一言一言が蒼の心を脆くする。

「敵わないかっ。敵わないよね! ……だって私は一年ちょっとだもん。去年の夏に颯太君と出会ってから……中三の夏から今まで……たった一年だもん! 颯太君と朱美ちゃん……人生半分の重みには全然敵わないよねっ! あああっ……」

(好きだったのに……大好きだったのに……こんなに人を好きになった事なんて今までなかったのにっ! 颯太君! 颯太君!!)

「ああっ……ああっ……」

(ああっ……相手が悪かったのかな? ……颯太君の相手が朱美ちゃんだったから? ううん、違う……好きになったのが颯太君だったから? ううん、それも違う。私は朱美ちゃんの事が大好き! 颯太君の事も大好き! だからっ……だからっ……どっちも悪くない! 二人とも悪くない! 私はっ……私はっ……二人の事が大好きなんだからっ!!)

「あああっ!!!」

 もしここで朱美や颯太の事を嫌いになれたのなら、蒼は少しでも楽になれたかもしれない。感情の逃げ場を作る事ができたかもしれない。しかし蒼にはそれができない。蒼にとって朱美も颯太もかけがえのない大切な存在である。大好きな存在である。逃げ場のない感情が蒼の目から涙を押し流す。

(でももうダメ……もう終わりにしないとっ。颯太君と朱美ちゃん……二人の恋を認めてあげないと! 私は……私はっ……大好きな二人を認めてあげる友達にならないとっ)

 「恋の対象」という存在から「友達」へ……蒼は自分の気持ちをシフトさせなければならない。蒼は心の中で覚悟を決めようとする。
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