夜空に咲く恋

第七十六話 たった一人の大切な友達

 「恋の対象」という存在から「友達」へ……蒼は自分の気持ちをシフトさせなければならない。蒼は心の中で覚悟を決めようとする。

(友達……友達か……朱美ちゃん、颯太君……)

 高校入学以来、幼馴染としてずっと仲良くじゃれ合って来た朱美と颯太の姿が蒼の頭をよぎる。

(朱美ちゃんと……颯太君……?)

 颯太への恋が強制的に終わらされた今……颯太の存在を友達として受け止めなければならなくなった今……蒼はこれまで見てきた朱美と颯太の姿を思い出し、ある願いを思いつく。

(ああっ……そうか。これなら……これが出来たら……私は少しだけ報われるかもっ)

 蒼は颯太にある願いを告げる。

「ああっ……ねえっ、颯太君?」
「うん」

「あのね……私はっ、明日から颯太君の事はもう『恋の対象』じゃなくて『友達』って思わないといけないんだけど……ああっ、ああっ」
「……」

「颯太君ってさ? 朱美ちゃんの事を『朱美』って呼んでるでしょ?」
「うん」

「朱美ちゃんは颯太君の事を『颯太』って呼んでるよね?」
「うん」

「ああっ、ああっ……でさ、颯太君って、名前を読んだり呼ばれたりする時に『呼び捨て』の子って、朱美ちゃんの他には居ない訳じゃん?」
「うん、そう言えば……そうだね」

(颯太君、お願いっ……私のお願い! 私の我儘! ……颯太君の事を好きで居た時の私の……最後の我儘を聞いて!!)

 蒼は鼻をすすらせながら、颯太に願いを告げる。

「だからねっ颯太君、お願い! 私の事を『蒼!』って呼んで欲しい! ……で! 私に颯太君の事を『颯太!』って呼ばせて欲しい!」
「えっ?」

「だって他に居ない訳でしょ? これから朱美ちゃんと颯太君は恋人になって……でさ! そうなったら、颯太君と名前を呼び捨てで呼び合う『友達』って……もう誰も居なくなる訳じゃん!?」
「う、うん……」

「だからねっ……お願い!! 私の最後の我儘! 振った女から最後の我儘だから! 颯太君と呼び捨てで呼び合える『友達』の特等席! ずっとずっと朱美ちゃんだけが座っていた……たった一つの特等席!! 私に譲って欲しいの!! ダメかなあっ!? あああっ」

「蒼さん……」

「はあっ、あああっ……」

(辛い! 苦しい! こんなのカッコ悪いよ! 情けないよ! でもっ……でもっ! 恋が叶わないなら! 恋を諦めないといけないならっ!! せめてっ……せめてっ……朱美ちゃんが居た場所に! 颯太君にとって特別な朱美ちゃんが居た場所にっ! ……私も居たいのっ! 友達でも良い! 友達でも構わない! ……でもそれならせめて! 「特別な友達」になりたい! 「たった一人の友達」になりたいんだよ! ……颯太君! お願いっ!! ……あああっ!!)

 蒼の提案に驚きながらも颯太は答える。

「蒼さん……分かったよ」
「えっ?」

(颯太君……『分かった』って言ってくれた? 恥ずかしがり屋の颯太君だから『ダメ』って言うかと思ったのに……私の我儘を聞いてくれた!?)

 颯太が自分の我儘を聞いてくれた事に、嗚咽を続けながらも蒼の声が少し明るさを取り戻す。

「ああっ。そっか……ありがとう、颯太君。本当にありがとう……じゃあ、次からね。次にお互い名前を呼ぶときは呼び捨てだからね。約束だよ」
「うん」

(終わった……終わっちゃった……もう行こう。もう十分だよ……うん、きっと大丈夫だ。辛いけど……苦しいけど、私は今からここを去って……沢山泣いて……自分でもびっくりするくらい沢山泣いて……で、明日から颯太君と新しい関係になるんだ……名前を呼び合う時は「颯太!」「蒼!」の関係になるんだ……)

 蒼は納得した。辛い失恋の先に……今夜きっと自分でも驚く程の涙を流すであろうその先に……明日からは颯太との新しい関係が待っている。特別な「たった一人の友達」という特等席が待っている。蒼は大きく鼻をすすって顔を手で拭い、明日になれば颯太の隣に在る特等席へ向かって一歩を踏み出そうとする。

(良かった……良かった! 颯太君はやっぱり優しいな。でも……明日から私の事を照れながら「蒼」って呼ぶ颯太君が想像できちゃうな。ふふっ、玲奈も朱美ちゃんもびっくりするだろうな……よし、行こう。もう行こう。この場から離れて……私は一年越しの恋にサヨナラして……明日からの新しい颯太君との関係に向かって歩き出すんだ)

「じゃあ私、もう行くね。さっきの約束、忘れないでよ? 『やっぱり恥ずかしい』とか無しだからねっ!」

……ザッ。

 蒼は颯太に背を向けたまま、泣き崩れて乱れた顔を見せる事なく、颯太の前から去ろうとした。鼻をすすりながら……目をこすりながら……蒼は歩き始める。

(颯太君、さようなら。私が大好きだった颯太君……片思いの颯太君……ずっとずっと大好きだった颯太君、さようなら! ……また明日からよろしくね! 今度は「特別な友達」の颯太君!!)

 一歩、また一歩と蒼が決意を込めて足を動かしていく。しかしその途中で蒼の脳に届く声があった。

「……お……い」

(えっ?)

「……お……い」

(あれっ?)

 幻聴ではない。二回聞こえた。自分の鼻をすする音と河川敷を歩く足音に混ざって蒼に届く声が二回聞こえた。蒼は足を止め、耳を澄まして自分に届く声に集中する。

「蒼!」

(なっ……何で!?)

 蒼を呼び止める颯太の声である。颯太は蒼が話し始めてから、口数を少なくして蒼の話を集中して聞いていた。蒼の気持ちを取りこぼさない様、一言一句をしっかり受け止めて聞く事に専念していた。蒼が話を全て終えて立ち去ろうとした今、颯太は自分の想いを蒼に伝える。

「蒼! 聞いて!」

(ああっ……あああっ……)

 足を止めた蒼は下を向き、両手で顔を抑えて悶える。

(違う……違うよ颯太君! 「次から」って言ったのはそう意味じゃないよ……「明日から」って意味だよ。明日からで良いのに……明日からが良かったのに……どうして今言っちゃうのよっ!?)

「ああっ……あああっ!!」

 蒼はこの場所で……颯太が居るこの場所で颯太への恋に区切りをつけ……明日からの特別な居場所を用意して……あとは一人で泣くつもりだった。今夜までは一年越しの恋が失恋に終わった結末を想い、気が済むまで泣くつもりだった。そのつもりが……颯太が呼んだ「蒼!」の一言のせいで、失恋の期限が「今夜」ではなく「今」になってしまう。

 蒼の目から再び涙が溢れ出る。今夜一晩かけて流すつもりだった量の涙が一気に溢れ出てくる。

(ああっ……颯太君、早いよっ……ダメだよっ……私に時間を頂戴よっ。一晩かけるつもりだったのに……一晩かけて泣いてゆっくり失恋を終わらせるつもりだったのに!! 今ここで全てを終わらせないといけないのっ!? ……あああっ!!)

「蒼、聞いて!」
「ああっ、あああっ!!」

 下を向き嗚咽する蒼に颯太は叫ぶ。

「蒼! ありがとう!! 本当にっ……本当にっありがとう!!」

(ああっ……ああっ……颯太君っ! 颯太君っ!!)

 背中を向けて俯《うつむ》く蒼に、颯太が思いのたけをぶつける。

「蒼! 俺っ、俺っ……本当に嬉しかった! 蒼が俺の事を想ってくれたのは勿論だけど、でもそれと同時に! いやっ、それ以上に! 『俺と朱美の事が大好き』って言ってくれた事! 『二人とも大切だ』って言ってくれた事! 本当に嬉しかった!!」

「ああっ……あああっ……」

(ああっ……颯太君、こんなの酷いよ。ずるいよ。残酷だよ……颯太君はいつも優しくて、生真面目で、一生懸命で……でもその優しさが、生真面目さが……こうやって残酷になる時もあるんだよ。ああっ……颯太君! 颯太君! 颯太君!!)

「蒼! 俺も……もう今日は行くから! 今日はもうこれ以上話さないからっ! だからっ……だからっ……明日からまたよろしく!!」

「はあっ! ……あああっ!!」

 颯太は思いのたけを蒼にぶつけた。言いたい事を全て口に出せたのかは分からない。全てが上手く蒼に伝わったとは思えない。でも、颯太は颯太なりに……蒼に一番伝えたい事を伝えた。

 颯太の想いを受け、俯いて悶えていた蒼も……必死に颯太に応えようとする。辛い、泣きたい、走り去りたい……失恋の苦しみに溺れる事を許してくれなかった颯太に……今この場所で特別な「たった一人の友達」という特等席に座らせてくれた颯太に……蒼は叫んだ。今夜一晩かけて味わうつもりだった辛い感情を全て吹き飛ばすかに様に……蒼は力いっぱい叫んだ。

(あああっ!! 颯太君っ……颯太君っ……私、私っ……私はっ!!)

「颯太―っ!! ありがとおぉーーーっ!!」


ー完ー
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