夜空に咲く恋

第六話 蒼、玲奈、颯太

 颯太の姿を見た蒼は予想外に発生した突然の出来事に、心の中に留めたはずの一言が口から出てしまった。

「私の王子っ!!」

「はっ?」
「え?」

 先ほどは颯太の姿を見て静止画の様に固まっていた蒼が、突然「私の王子!」と叫んだ事に朱美も颯太も戸惑いを隠せない。

 また蒼は、目の前で戸惑う二人の姿と、働くはずのない自分の聴覚を刺激した自分自身の声に、心の中に留めたはずの歓喜の叫びが声となって口から出てしまった事に気付く。

(あっ……わ、私っ、今、声に出ちゃってた!? ……なっ、何でっ!?)

 蒼の体温が急上昇する。顔が熱くなる。今まで生きてきた中で一番顔が熱くなっているのがはっきりと分かる。「顔から火が出る」という表現はこういう時の為にあるものだ。

「あ、蒼ちゃん?」

 心配する朱美の声は蒼には届かない。蒼はただただ下を向いてプルプルと震えている。

(私っ! 何て事を言っちゃったの!? わ、私……私の……私のっ……!!)

 そして、次の瞬間!

「バカーーッ!!」

 蒼はその場に悲痛な叫び声を残して全速力で走り去り、一瞬で朱美と颯太の視界から消えた。

「……」
「……」

 「王子!」と叫んだ女子高生が黙り込んだかと思えば、続けざまに「バカー!」と叫んで立ち去った。目の前で起きた不可解な現象に、朱美と颯太は無言で立ちつくす。そうして二人が状況を理解できずに呆然としていると、突然背後から声がした。

「これは良いモノを見せてもらったわね」
「わっ! れ、玲奈ちゃん!?」
「えっ?」

 蒼と颯太の後ろから声を出したのは、朱美と同じC組女子バスケ部三人組の一人、小柄な森田玲奈だ。朱美が玲奈に問いかける。

「玲奈ちゃん、今の見てた? 何だか分かる? 一体どういう事?」

「村上さん、それはまたいずれ説明するわ。私、とりあえず今日は蒼を慰めに行くから」

 困惑する朱美と颯太とは対照的に、玲奈は落ち着いて淡々と話を続ける。

「久しぶりね、坂本颯太君。またゆっくり話しましょ。これはお詫びよ。受け取って」

 玲奈は制服の中からスッとうまい棒を取り出して颯太の手に握らせる。そして、澄ました笑顔で怪しい残り香を漂わせると、蒼の後を追い一瞬で朱美と颯太の視界から消え去った。

 こういう時、女子バスケ部の脚力は伊達ではないと感じさせられるが、今それはどうでも良い事だ。下足室に取り残された朱美と颯太は、戸惑いながら状況の整理を図る。

「朱美? 今の二人、友達?」
「う、うん……」
「そか。お前の友達、大丈夫か?」
「うん、多分……」

「……」
「……」

 二人の間に暫く沈黙が流れる。そしてまた状況の整理が再開される。

「最初の人、三浦蒼さんだっけ?」
「うん、蒼ちゃん」
「俺を見て『王子!』って言ったか?」
「うん、言った」

「……」
「……」

「その後『バカー!』って言ったよな?」
「うん、言った」

「……」
「……」

「どういう事?」
「さあ……でも、つまり……」

「つまり?」

「……バカ王子?」
「何でだよ」
「私も分かんない」

 また暫くの沈黙が続いた後、今度は朱美が口を開く。

「でも、二人目に来た玲奈ちゃん」
「うん」
「颯太の事を知ってたよね。『久しぶりね』って」
「そう言えばそうだな」

「颯太、蒼ちゃんと玲奈ちゃん知ってるの?」

「いや、この高校で他のクラスの女子なんて知らない。通学の電車も違うから駅で一緒になる事もないだろうし」

「そうだよね……」
「うん? でも待てよ、三浦蒼と森田玲奈……どこかで聞いた事がある様な……」

 おぼろげながら颯太の記憶に残る蒼と玲奈の名前……蒼、玲奈の二人と颯太、その出会いは九か月前、中学三年生の七月に遡る。

――颯太達が中学三年生の七月。

 颯太と朱美が通うM中学、蒼と玲奈が通うR中学の近くに某有名学習塾が新たに開業して、夏期講習を開催するという広告が地域一帯に配られた。

 中学三年生の七月ともなると、部活動も終わりが見え、生徒達は受験勉強に向けて本腰を入れる。そんな折、テレビで大々的CMを行う誰もが知る有名学習塾が近所に開業して夏期講習を開催する……という状況は中学三年の受験生本人はもとより、その親にとっても大いに関心を引く出来事である。

 この様な状況になると……

「新しくできた塾の夏期講習、私行ってみようかなー?」
「えっ? じゃあ私も行く!」

「あそこのお子さん、今度出来た塾に通い始めたらしいわよ」

「あらそうなの? うちの子供にも行かせた方が良いかしら? うちの子、全然勉強してないから……」

といった会話が学校内でも親同士の間でも頻繁に聞かれるようになってくる。漠然とした「受験」という大きな不安の前に立たされた学生と親達の間には、学力向上はさることながら、「ちゃんと受験対策をしている」という安堵を求める心理も大いに働き、多数の申込みが行われた。

 颯太、蒼、玲奈もそのうちの一人だ。ただ、朱美は既に別の学習塾に通っていた為、こちらの新しい学習塾には通わなかった。

──このような経緯を経て、異なる中学に通っていた颯太、蒼、玲奈の三人は昨年の夏、学習塾の教室で運命的な出会いを果たしていた。
< 8 / 79 >

この作品をシェア

pagetop