それでも生きていてほしいから~統合失調症になった私の綴るアナタと十四人への手紙~
私は小学ニ年生の時、自分のことを「私」「あたし」と言うのに抵抗を感じていて、「俺」という一人称を使っていました。
「俺」という一人称を使う四歳上の兄がいたので、その影響もあったかもしれません。
私は口調も男言葉で話していました。
そんな私を見て、クラスメイトは、
「見た目に合っていない」
と言って揶揄(からか)ってきました。
“ヘソ出しピアス”という変なあだ名を付け、つまらない嫌がらせをしてきました。
その中心に居たのは、就学前一番仲良くしていた女の子、N.Oちゃんでした。
もちろん悲しかったですし、嫌でしたが、「私」「あたし」という一人称を使うのはもっと嫌で、一人称を変えないまま、
しばらくそんな状態が続いていました。
そんなある日ことです。
朝目が覚めた私は一緒の部屋で寝ていたお母さんと言葉を交わしました。
するとお母さんは、
「女の子が“俺”というのは辞めなさい。それは男が使う一人称だ」
そんなようなことを、酷く冷たい顔と声色で言われました。
私はクラスメイトに嫌がらせをされようが、自分のしたくないことはしませんでした。
誰かによく思ってもらうために、誰かに嫌われないように、偽りの自分で振る舞いたくなかったからです。
他の人に何を言われようが、私は私らしくありたいと思っていました。
毎日のように嫌がらせを受けて、本当は学校に行くのも嫌だったけど、誰かに甘えることすら出来ませんでした。
そんな強がりな自分が、私は好きでした。
それは、小さな子供なりの、大きなプライドでした。
でも。
一番私らしさを認めていて欲しかった貴女にすら否定されたことが、とてもとても
辛かったのです。
「俺」という一人称を使う四歳上の兄がいたので、その影響もあったかもしれません。
私は口調も男言葉で話していました。
そんな私を見て、クラスメイトは、
「見た目に合っていない」
と言って揶揄(からか)ってきました。
“ヘソ出しピアス”という変なあだ名を付け、つまらない嫌がらせをしてきました。
その中心に居たのは、就学前一番仲良くしていた女の子、N.Oちゃんでした。
もちろん悲しかったですし、嫌でしたが、「私」「あたし」という一人称を使うのはもっと嫌で、一人称を変えないまま、
しばらくそんな状態が続いていました。
そんなある日ことです。
朝目が覚めた私は一緒の部屋で寝ていたお母さんと言葉を交わしました。
するとお母さんは、
「女の子が“俺”というのは辞めなさい。それは男が使う一人称だ」
そんなようなことを、酷く冷たい顔と声色で言われました。
私はクラスメイトに嫌がらせをされようが、自分のしたくないことはしませんでした。
誰かによく思ってもらうために、誰かに嫌われないように、偽りの自分で振る舞いたくなかったからです。
他の人に何を言われようが、私は私らしくありたいと思っていました。
毎日のように嫌がらせを受けて、本当は学校に行くのも嫌だったけど、誰かに甘えることすら出来ませんでした。
そんな強がりな自分が、私は好きでした。
それは、小さな子供なりの、大きなプライドでした。
でも。
一番私らしさを認めていて欲しかった貴女にすら否定されたことが、とてもとても
辛かったのです。