離婚記念日
「早速ですが、片寄様の家の話はどの程度ご存じですか?」

「え?」

「ご実家の家業についてです」

え? 私、何も知らない……。
急に背中がぞくっとした。
太一くんから両親は賛成してるけど海外にいるから、と言われたのを鵜呑みにしていた。一度も会ったことも話したこともない。
今の時代、ビデオ通話だってあるのにどうして思いつかなかったのだろう。私は太一くんの両親の顔さえ知らなかったことに唖然とした。
そんな私の様子に友永さんは悟ったのか軽くため息をついていた。

「片寄様は先ほどお渡ししたブリジャールコーポレーションのCEOのご長男です。今の会社で経験を積んだのち、本社に戻られる予定ですよ」

「太一くんがですか?」

思わず問いかけると深く頷いた。

「今の会社はこれからの仕事の糧となるでしょう。修行に出ているところ、とでも言う感じでしょうか」

「そんな……」

初めて聞く話に驚きを隠せない。
彼は今の仕事にやりがいを感じていた。3年目になり後輩もでき喜んでいた。任される仕事が増えてきたとこの前も話を聞いたばかり。まさか今の仕事が修行で、いずれ家業を継ぐなんて思ってもみなかった。

「それに結婚される方ももともと決まっていたのですよ。それを横から入ってきたあなたと結婚してしまった。ご両親が気が付いたのはつい最近で、とても驚かれていました」

「結婚相手ですか?」

「はい。これだけの企業です。利害のある方と結婚の話があって然るべき」

「今どきそんな話があるんですか?」

信じられない思いで、つい言葉が出た。

「もちろんです。一般の方には信じられないかもしれないですね」

私にはわからない世界でしょうけど、と言いたげな様子に少し苛立ってしまった。けれど彼の様子から私とは別の世界の人だとわかる。物腰は柔らかいが、メガネの奥の目は笑っていない。秘書という肩書き通り、優秀な人なのだろう。

「それで、ご両親としては元に戻して欲しいと思われてます」

「元に戻す?」

私には何の話かわからない。ううん、分かってきたが信じたくない。
友永さんは笑みを浮かべていた。

「はい。あなたとの離婚を望まれています。太一様の肩には何千、何万という社員や家族を背負っています。あなたは太一様の後ろ盾になれますか?」

なれるわけがない。
会社員の父に専業主婦の母。文具メーカーで働くただの社員の私。我が家が彼の後ろ盾にも、利害をもたらすことさえも出来ないのは手に取るようにわかる。

「でも……太一くんが結婚しようって」

「彼も若かったのでしょう。周りが見えていなかったとでも言いましょうか。彼の背負ったものの大きさが分かれば、この結婚に意義を見出せないでしょう」

何も言えなかった。
この話がもし本当なら、私は彼の隣にいるべき人間ではない。
彼の何の役にも立たない。むしろこの結婚が彼の足枷になりかねない。
黙り込み、頭をもたげていると、友永は立ち上がった。

「今日はこれで失礼します。よくお考えください」

それだけ言うと伝票を手にし、店を後にした。
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