魔女に呪われた少女と、美しい支配人と

エピローグ

 とある片田舎の、冴え渡る空の下。
 ひなびた教会の前に1台の黒塗りの馬車が停まった。

 門の前を掃除していた修道女は手を止めて客人を迎える。
 見慣れぬ家紋があしらわれた馬車を見て、「なにかあったのかしら」と独り言ちていると、馬車の中から赤い髪の少女と、少女と同じ髪の色をした上品な身なりの若い男と、その従者が出て来た。

 花の妖精のように美しい少女の姿を見て、目を見張る。

「シスター・グレース!」

 少女は修道女に抱きついて、顔を埋めた。

「まあ! ロゼッタ! ロゼッタなの?!」

 2人はしっかりと抱き合った。
 
 ここはかつてロゼッタが生活していた孤児院。
 ロゼッタの記憶と蒐集家たちの伝手を頼りに、ダンテがこの場所を探し当てたのだ。

 ダンテは抱きつく二人に近づいた。

「初めまして、この子の父親になった、ダンテ・バルバートです」
「ああ、あなたが助けてくださったんですね……!」

 修道女――院長は涙を拭いながら、ダンテを見つめる。
 ロゼッタが引き取られた家の人間に売られてからというもの、彼女は毎日女神に祈り、ロゼッタの無事を願っていた。

 ダンテは「ええ、」と返すと、複雑な表情を浮かべてロゼッタの顔を窺った。

 黒霧の魔女の事件が落ち着いてからしばらくして、ダンテは意を決して、ロゼッタが元々居た孤児院を訪れることにした。
 第二の家族ともいえるその場所の人たちに会わせてあげることにしたのだ。
 正直なところ、ダンテは不安だった。孤児院の院長と再会すれば、ロゼッタが孤児院に帰りたいと言い出すのではないかと思ったからだ。

「今はダンテの跡継ぎになるために勉強していますのよ」
「まあまあ! すっかり淑女になって。ロゼッタは賢いからすぐにお父様のお手伝いができるようになりますよ」

 憂慮していたダンテはロゼッタの言葉に喜色を見せて、嬉しさのあまり、彼女の髪に触れる。柔らかな髪を指に絡ませて、愛おし気にロゼッタを見つめた。

 そんな様子を見てまたもや涙を溢してしまっていた院長は、ふと、なにかを思い出したかのように両手を叩く。

「ロゼッタ、あなたのお母様から預かっていたお手紙があるの。もっと大きくなってから渡そうと思ってとっておいたんだけど、今持ってくるわ」
「ロゼッタの、母親……」

 ダンテの表情が一瞬にして強張った。

 ついに、彼女の母親がわかるかもしれない。
 長い間彼が抱いていた希望と苦悩が、終わりを告げるのかもしれないのだ。

 そんなダンテの様子を心配したロゼッタが彼の手を握ると、微笑みを向けて頭にキスを落とす。ない交ぜになった心を律して、彼女の髪に触れ続けた。

 院長が持ってきたのは小さなオルゴール箱と1枚の手紙で、それらはどちらも、初めてロゼッタを見つけた日にゆりかごの中に一緒に入っていたらしい。

 送り主は、”ママ”と記されていた。

 ドクン、とロゼッタの心臓が大きく脈打つ。

『ロゼッタへ

この手紙を読んでいる頃、あなたは何歳になっているのかしら?
大きくなったあなたを見ることができなくて、とても残念だわ。
あなたのそばにいられなくてごめんなさい。
ママは、悪い魔女に追いかけられているから、あなたと一緒にいられないの。
でも、これだけは覚えていて。
あなたは私の宝物なの。愛している人との間に生まれた、大切な娘だから。
本当はずっと、一緒にいたかった。

愛してる。
あなたもパパも、愛してる。

ママは風になってずっとあなたを見守っているから、風が吹いた時はママのこと、思い出してね。

ママより


追伸
あなたはきっとママに似て、好奇心が強いでしょうから、ママとパパの秘密を、このオルゴールが作られた街に隠したわ。あなたが18歳になったら行ってみて。そこでまた、会いましょう』

 続いてオルゴール箱を開けると、どこかの民謡のような素朴で優しい旋律が聞こえてくる。
 箱の中には妖精や花々が描かれており、中に入っている金色の鍵がきらりと光った。

 すると、傍で見ていたダンテが不意にオルゴールに触れた。

「箱の大きさに対して底が浅いな。下にも何かあるようだ」

 そう言って底を軽く押してみると天鵞絨張りの底板が外れて、イヤリングが1つ、姿を現わした。

「片方だけですわね?」

 ロゼッタは取り出して目の高さまで持ち上げる。それは彼女の目と同じ色の魔法石があしらわれており、陽の光を受けてキラキラと輝く。

「ママの宝物だったのかしら?」
「きっとそうなんだろう。見せてくれないか?」

 差し出された掌の上に乗せると、ダンテはそっとイヤリングに触れた。震える指先で、何度も撫でるように触れる。
 イヤリングの上に、ぽたりと雫が落ちた。見上げれば、ダンテの目から涙が溢れている。

「ダンテ、どうして泣いていますの?」
「ああ、ごめん。すごく嬉しくて」

 ダンテはロゼッタの耳にイヤリングをつけると、彼女を強く抱きしめた。頭に、頬に、鼻に、次々とキスをする。
 ロゼッタは始めこそ何が起きたのかわからず目を白黒とさせていたが、やがてくすぐったそうに身をよじって笑った。「どうして泣いていますの?」と何度問いかけても、ダンテは「ごめん」と言うだけで何も教えてくれない。

「18歳になったら、一緒に探しに行こう。俺も一緒にお前の母親の秘密を見つけたい。お前の母親が用意してくれた贈り物がちゃんと届くように見守りたいんだ」
「ええ、ついでに観光しましょう。わたくし、まだ旅行したことがありませんもの」
「名案だ。でも、旅行なら18歳になるまでにもできるぞ」

 ダンテはそう言いながら涙を拭く。そんな彼の姿を見て、ロゼッタはあることを思いついた。

「お屋敷に帰ったら、ママに手紙を書きますわ」
「どこにいるのか、わからないのにか?」
「ええ、伝えたいことがありますの。今はパパと一緒にいれて幸せだって、ママに知って欲しいですの」
「――っ!」

 不意打ちでパパと呼ぶと、ダンテはいつも一瞬固まってしまう。それを狙ってあえてパパと言ったロゼッタは、したり顔になった。
 しかしダンテがまたもや涙を浮かべるものだからあわててしまった。

 そんな彼女の気も知れず、ダンテはロゼッタの肩に顔を埋めて、声を殺して泣いた。

「どこか痛いですの?」

 困惑したものの、背中に腕を回して撫でてあげる。すると、ポタポタと涙が止まることなく肩を濡らしていった。

「本当にそう、思ってくれるのか?」

 震える声がロゼッタの耳に届く。
 彼女の小さな胸が、トクンと脈を打った。

「ずっと変な意地を張っていて済まなかった。許してくれなくていい。嫌っていてもいい。歪んだ気持ちでお前を見ていた俺が悪いんだ」

 身体を離して、視線を交わす。
 ダンテの宝石のような瞳からは、ポロポロと涙が溢れている。

「なんですの? 情けない顔をしてますわ」

 ロゼッタはハンカチを取り出してダンテの涙を拭いた。
 最近ラヴィから教えてもらったばかりの刺繍を自分でほどこしたハンカチは、ロゼッタのお気に入りだ。ダンテが欲しがってしきりに強請っていたが、自分が使っている物を渡すわけにもいかず、ダンテとブルーノに贈るために作っているところだ。

「許してあげませんわ。だから、罰として、ずっと私の我儘を聞きなさい」
「言われなくてもそうするつもりだ」

 2人は顔を見合わせて、共犯者のような笑みを交わす。ところがそれも一瞬のことで、ダンテはロゼッタの手からハンカチを取り上げると、上着のポケットの中にしまいこんだ。ロゼッタが抗議の声を上げてもにっこりと微笑むだけで返そうとしない。

 ロゼッタは唇を尖らせて不機嫌を露わにした。彼女がダンテを負かせるようになるのは、まだまだ先のことになりそうだ。

 一連のやり取りを見守っていた院長が、淡く微笑みを浮かべて女神様に感謝のお祈りを捧げる。
 ロゼッタと、その養父を巡り会わせてくださって、ありがとうございました、と。


 彼らの周りをそよ風が吹くと、ロゼッタの手の中にあるオルゴールがまた、歌を奏で始めるのだった。



-結-
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