絶縁されたので婚約解消するはずが、溺甘御曹司さまが逃してくれません
数人に羽交い絞めにされながらなおも絢子へなにかを訴えてくる匠一だったが、さすが長年桜城に使える使用人たち。彼らは皆、頭に血がのぼると手がつけられなくなる主人の荒い気性も、彼が薬を飲んで血圧をコントロールしている健康状態も、淑やかな女性であるようにと教育されてきた絢子が父の激情に逆らえないことも、十分すぎるほど理解している。
だから双方のためにも、ここは一度離れるべきだと判断したのだろう。女性使用人の中で最年長である松木 小夜に支えられて立ち上がった絢子は、そのまま彼女と共にリビングルームを退室した。
とはいえ桜城家の豪邸は土地も建物もすべてが匠一の所有物だ。親子間にも一応プライバシーは存在するが、もし彼が『開けろ』と要求すれば、絢子は自室の扉も開けなければならない。つまり桜城邸の中に、絢子の逃げ場はない。
「絢子お嬢様、私の家へいらしてください」
「小夜さん……」
絢子の肩を抱いた小夜が、皺が寄った手で絢子の手をぎゅっと握ってくれる。そうして握り合った互いの手がわずかに震えていることに気づくと、自分は漠然とした不安と困惑を、小夜は匠一に歯向かったことに対して恐怖を覚えていることを知る。
数年前に他界した祖母よりも絢子を大切に慈しんでくれる小夜が、自分のせいで匠一に怒られるかもしれない。そう思うとさらに不安を覚える絢子の手を握りながら、小夜は廊下の向こうを視線で示した。