がらんどう

年下の部下との距離の取り方がわからない

茂木はパソコンを片手に、昼過ぎに私のアパートにやってきた。
もちろん服装はスーツではなく私服姿だ。
会社ではブカブカのスーツを着ていて、猫背気味のせいで華奢だと思っていたけれど、程よく身体の線を拾うシャツとスラックスのせいか、意外としっかりとした身体つきをしている事に私は気がついた。

「お邪魔します」

茂木が部屋に入る時、私は違和感をもって首を傾ける。そして、すぐにそれに気がつく。いつもより大きく見えたのだ。なぜか、今日は背筋がしっかりと伸びていた。
背筋を伸ばした普段着の茂木は、草食系というよりも、肉食系の身体つきをしている。
もっとも、分厚いメガネのせいであまりそれを感じないけれど。それがなかったら私は彼に気後れしたかもしれない。

「何か飲む?麦茶くらいしか出せないけど……」

慌てていたのだろう。パソコン以外持ってこなかった茂木にとりあえず私は声をかけた。
椙山が部屋に来ていた時は、紅茶から普段飲まないコーヒーまで用意していたけれど、客人など来るはずないと思っていたのでそういったものは一切用意しなくなった。
茂木は仕事をするために来たので、客人扱いするのは少し変な気がするけれど、何も持ってきていないようなのでそれなりに気を遣ったほうが良さそうだ。
きっと、ミスに気がついて慌てたのだろう。なんだか可哀想に思えてきた。

「ありがとうございます。すみません。慌てていたので、何も持ってこなくて」

「気にしなくていいのよ。とりあえず仕事早く終わらせましょうか」

お茶を差し出して茂木のパソコンを確認する。
彼が助けを求めてきたけれど、頑張れば1日かけて修正は可能なような気がした。しかし、不安だったのだろう。
この状態で、月曜日に提出されていたら、水曜日の会議のために大慌てで修正する事になっていた。気になって見返してくれた茂木に感謝だ。

「よく気がついたわね。助かったわ」

「金曜日、帰る寸前で確認したら不備があって、今日の朝から修正しようとしたら間に合わない気がして。すみません手間取らせてしまって」

茂木は申し訳なさそうに謝るけれど、その必要はないと思った。
失敗は早く見つけた方がいいものだから。こうして相談してくれるだけありがたい。

「早く気が付けて良かったと思うわ。失敗しても早く報告してくれるとこちらとしては助かるもの」

「怒らないんですね」

茂木は不思議そうに首を傾けるけれど、私が怒る理由はない。休みを使って仕事をしているのはいけない事なのかもしれないけれど。

「当然よ。そもそも、本来なら月曜日に気が付いていたものなんだから、助かったくらいよ。それに、暇で時間を持て余していたし」

私たちは資料の修正を始めた。

時折、茂木からの視線に気がついって目を向けると、気まずそうに逸らされた。私は気にしていないけれど向こうはそうではないのが伝わってきた。

「っつ……」

茂木は前髪が邪魔だったのか、髪の毛をかき上げる仕草をした。
あらわになったのは、綺麗な形をした鼻と唇だ。
長めの前髪と分厚いメガネのせいで、素顔を今までちゃんと見たことはなかったけれど、顔はよく整っている事に私は気がついた。

だからといって私には関係のない事だけれど。

年増の女が若い男の子の顔見て何考えてるのよっ……。

年甲斐もなくときめいたりしたら本当に自分が滑稽に思えてくる。男が若い女の子にときめくとはわけが違うんだから。痛いったらありゃしないわ。

私はそう言い聞かせて、目の前の作業に集中する。

資料の修正は私の見立てた通り。夕方くらいには終わった。

「終わったわね……」

「ありがとうございました。助かりました」

目頭に指を当ててマッサージしながら呟くと、茂木はほうっと息を吐いた。
上司の家に上がり込んで仕事をしたのだからそれなりに緊張したのだろう。時計を確認すると夕方の5時で、もう少し時間が経てば夕食の時間だ。
この場合、上司の私が空気を読んで食事に誘うべきなのかもしれない。しかし、仲が良いわけでもない年増の女に、それをされても茂木からしたら迷惑になる。
歳を取るたびに若い子への扱いに悩むようになった。仕事上では慕われていても向こうはどう思っているのかわからないし、それに、誘われて嫌な思いをさせるかもしれない。
そう考えると早めに帰してあげた方が彼にはいいだろう。

「いいのよ。それじゃあ、また月曜日に」

しかし、茂木は俯いで動こうとはしない。

「こういう時って空気を読んで食事に行かない?って誘うもんじゃないんですか?」

「えっ?」

出てきた言葉の低さに私は戸惑った。まるで怒っているような口調に、言い方を間違えたのかもしれない。と、不安になる。

「いや、なんていうか、そう思うんですけど、俺は」

苦笑い混じりの茂木に私はあることを思い出した。
そういえば、奢ってもらうつもりで上司から食事の誘いを待つ子もいるって聞いたことある……!

「ごめんなさい。上司に誘われても嫌だろうって思ったから、食事に行かない?でも、私はこの辺り詳しくないのよね」

私は慌てて誘わなかったことへの言い訳をすると、茂木は「嫌なんかじゃないですよ」と、私に奢られる事を肯定した。

「車もあるし、俺が連れて行きます」

「ありがとう」

定期的に誘われたらどうしようか。と、私は財布の中身を心配してお礼を言った。
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