鏡と前世と夜桜の恋
「咲夜さん毎日どこに行ってるの!?」
屋敷に響く陽菜の甲高い声に、咲夜は足を止めた。
「… お前に答える義理はない」
淡々と吐き捨てるように言い、草履を履こうとした瞬間、陽菜はその腕を掴み爪を食い込ませる。
「あるわ!あるに決まってる!咲夜さんは私の物… 私の旦那様なんだから!!」

執念に歪んだ瞳が咲夜を射抜く。
毎日、毎日。夜には必ず戻ると分かっていても咲夜が京へ向かう列車に乗る姿を見た者がいる… その噂が、陽菜の心を焦がし尽くしていた。
「俺は、言われた通りお前たち親子の相手をしている。それで足りぬか」
「足りない…!!!」
陽菜の唇が引きつり、震える。
「… あの子でしょ」
低く粘つく声。
「あの子と隠れて会ってるんでしょ?」
咲夜の指がほんの一瞬、揺れた。
「私がいるのに… 行かせない。咲夜さんは私のもの。あの子はもう兄の物… なのに、なのに… 」
陽菜は狂気を孕んだ瞳で咲夜の腕に縋りつく。
「許せない… 許せない… 絶対に…!!」
その執着は愛ではなくもはや呪いだった。
-- その頃。
長崎へ辿り着いた雪美は、顔を深く覆いながら懐かしい道を歩いていた。
変わらぬ石畳に変わらぬ町の匂い。
そして変わらぬ咲夜への想い…
政条家の庭の影から、そっと屋敷の中を窺うが、咲夜の姿は見えない。
「雪美様…!?どうしてここに… 」
使用人・ゆりねの驚愕した声に、雪美は唇に慌てて指を当てる。
「… さくは?」
「おすず様の屋敷に…」
その一言で胸の奥が締め付けられた。
一目でいい、それだけで十分だったはずなのに… そう自分に言い聞かせ、雪美はゆりねとおすずの屋敷へ向かった。
庭に差し掛かったその時、言い争う声が耳に届く… 咲夜の声だった。
「さく… 」
申又の話しは嘘、咲夜は生きてる… 嬉しさのあまり思わず雪美の胸が跳ねる。
その瞬間、障子越しに見えたのは陽菜に腕を引き止められる咲夜の姿で… 引き裂かれるように着物が乱れ、露わになった肩。

そこには――
かつて雪美が刺した、消えぬ傷痕。
咲夜はその痕に一瞬だけ視線を落とし、かすかに微笑んだ。それは祈るような、恋しさを隠すような、微笑みだった。
陽菜はその一瞬を見逃さなかった。
「… その傷痕」
声が、低く沈む。
「ゆきちゃんが付けたんでしょ?」
咲夜は答えず、踵を返して屋敷を出ようとする次の瞬間…
閃光の様に短刀が振り上げられた。
「そんな痕、許さない…!!」
狂気に歪んだ陽菜の顔。
「ゆきちゃんの痕が残ってるなんて… 絶対許さない、許さない、許さない、上書きしてあげる… 塗り替える、塗り替える、塗り替える、全部私が… 」
「咲夜さんは私の物、全て塗り替えてあげる!!」
刃が一直線に咲夜の肩へ…
「やめて!!」
障子が激しく開き雪美が飛び出した。咲夜の前に立ち、庇うように腕を広げる。
鈍い音と肉を裂く感触… 雪美の腕に鮮血が滲んだ。
「…っ!」
「ゆ、ゆき!?」
咲夜は咄嗟に雪美の身体を抱き止める。
「… お揃い、だね」
雪美は痛みに顔を歪めながら微笑った。
「さくと、お揃い… 」
「バカ…っ!」
咲夜の声が震える。
「なんで… 」
雪美を抱き締める腕に力がこもる。
「こんなお揃い全然嬉しくない… それに同じお揃いなら、俺が付けたかったよ… 」
その声は今にも泣き崩れそうだった。