鏡と前世と夜桜の恋
陽菜の理性は完全に崩れ落ちた。
「なんで… なんで、あの子がここに… やだ、塗り替える… 塗り替える… 塗り替える… 」
陽菜の声はもはや言葉ではなかった。同じ音を何度も擦り潰すように、喉から漏れ続ける。
「私の咲夜さんにゆきちゃんの痕なんて許さない、許さない… 絶対に許せない…!」
短刀を握る手が痙攣するように震える。
「全部、私の痕がいいの!!ゆきちゃんの痕なんて… いらない、いらない、いらない!!」
刃が再び咲夜へ向かう。
「あは、ははははは、シんで、咲夜さん、咲夜さん、咲夜さん」
屋敷を引き裂くような絶叫… その狂気の只中で咲夜は不思議なほど静かだった。
「陽菜… やるなら、やれ」
低く、凍った声。
「塗り替えられたとて俺の心は、ただ1人にしかない」
その言葉と同時に咲夜は、雪美を見た。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
血と闇に塗れた空間の中で咲夜は微笑んだ。
" お前だけだ "
言葉にしなくともその想いは確かにそこにあった。
咲夜は雪美の手を引く、強く、だが震えない手で。
「… ゆき、行け」
屋敷の出口へと導きながら、低く言う。
「出ていけ。今からは… 俺がケリをつける時間だ」
「… さく、待って!」
雪美の声が背中に突き刺さる… だが、咲夜は振り返らない。その光景に陽菜の理性は、更に完全に砕け散った。
「やだやだやだやだやだ!!!!!」
喉を裂くような叫び。
「その娘を叩き出して!!二度と、この屋敷に足を踏み入れさせないで!!!」
唾を飛ばし、髪を振り乱し、目は焦点を失っている。
「ゆきちゃん… 許さない… 絶対に… 絶対に… 」
その声は、呪詛だった。
雪美は咲夜の手から強く突き離され、よろめき、屋敷の外へ… 戸が閉められ、屋敷の中に戻ることは許されなかった。
戸の向こうで、まだ叫び声が続いている。
―― 塗り替える。
―― 許さない。
―― 私のもの。
雪美は立ち尽くしたまま自分が “ 安全な側 ” に追い出されたことを、遅れて理解した。