鏡と前世と夜桜の恋
「… っ!!」
「ここ、あの子と同じところ」
血が滴り落ちる。
「同じ痕を私も付ける、そうしないと咲夜さんあの子をまた思い出しちゃうでしょ?」
咲夜の視界がゆっくりと歪んでいく。
血の匂い。
湿った畳。
呼吸のたびに、肺の奥が軋む。
「… これで上書き、完了っと♪」
陽菜は満足そうに息を吐いた。それは女の吐息というより、獲物を仕留めた獣のよう。
「これで咲夜さんの身体は全部、私の… 」
その声を聞いた瞬間、咲夜の中で何かが静かに、確実に、折れた。
「… 勘違いするな」
掠れた声。
それでも確かに、芯があった。
「俺の身体をどうしようと… 俺の心まで、思い通りになると思うな… 」
一瞬、時が止まった。
次の瞬間、陽菜の顔が歪んだ。
「… な、に…?」
喉の奥から獣のような音が漏れる。
「… あ?」
陽菜の理性は完全に焼き切れた。
「っっざけないで!!!」
叫び声と同時に、爪が振り下ろされる。
――ザリッ。
皮膚を裂く音。
咲夜の頬から、血が流れ落ちる。
「私の物なのに、私がここまでしてあげたのに!!!」
何度も、何度も。顔を、首を、髪を掴み引き裂く。
「咲夜さん、なんで… なんで、なんで私をそんな目で見るの? 仕方ないじゃん!欲しい物は欲しいんだもん!犠牲は当たり前… 」
「手に入れられる物なら… そうよ、私は化け物だから奪って当たり前なの。咲夜さんが私をこんな風にした、咲夜さんは愛してくれない、悲しませるから全て咲夜さんのせいよ!!」
陽菜の目はもはや“ 人 ”ではなかった。
恐怖と被害妄想と憎悪が入り混じった、責められる側だと信じ込んだ加害者の目。
(… ああ)
咲夜は、はっきりと理解した。
(こいつは、もう戻らない)
誰かの娘でも誰かの婚約者でもない。ただ自分を壊すためだけに存在する… 異物。
「… 触るな」
低く、冷たい声。
陽菜の動きが、一瞬止まる。
「二度と… 俺に触るな」
その声には、怒鳴りも、恐怖も、懇願もなかった。