鏡と前世と夜桜の恋

雪美と別れた後、咲夜は暫く川縁に立ち尽くしていた。

流れる水は何も問わず、何も答えない。ただ同じ速さで、同じ方向へ、過去を運んでいく。

咲夜は袖で涙を拭い、深く息を吸った。

(… 戻るしかないか)

そう思った瞬間
胸の奥で何かが鈍く音を立てて閉じた。







屋敷へ戻るとそこには、待ち構えるように3人がいた。

陽菜、おすず、そして… 藤川。

空気が異様に重い。

次の瞬間、藤川の拳が飛んだ。

鈍い音。

咲夜の視界が揺れ、頬に熱が走る。

「この…!!」

藤川の怒声が壁を震わせる。

「お前、ワシの嫁に手を出したな!!!」


言いがかりをつけられ訳が分からなかった。咲夜は、殴られたまま立ち上がりもせず、ただ自分の手を見つめぽつりと呟く。

「ゆき… 相変わらず柔らかかった、お前らと違ってな」

咲夜の言葉を聞き、おすずと陽菜は雪美を抱いたと勝手に勘違い… その場の空気が、一気に凍りついた。


陽菜の顔が引き攣り、おすずの目は光る。

視線を自分の手へ落とす。まだ温もりが残っている、指先が、わずかに震えた。

「… やったんだね」

陽菜の声は、低く、冷たい。

「… 抱いたんだ」

怒りのあまりおすずは口元を歪める。


「なるほどねえ… だから、あんな顔して帰ってきたわけだ。直ぐに申又に文を出しな!!」

陽菜が叫ぶ。

「今すぐよ!!あの女、もう放っておけないんだから!!」

その声を聞きながら咲夜は、ゆっくりと顔を上げ、そして――

気付かれないように、にやりと笑った。


それは、反抗でも挑発でもない… けど確かに何かを企む者の、笑みだった。

「「絶対許さない… 」」

藤川の話しはそっちのけ…
屋敷の闇は、さらに濃くなっていく。

この夜から、嘘と誤解と執着は、もう後戻りできない速度で絡まり始めていた。

< 181 / 246 >

この作品をシェア

pagetop