鏡と前世と夜桜の恋
雪美と別れた後、咲夜は暫く川縁に立ち尽くしていた。
流れる水は何も問わず、何も答えない。ただ同じ速さで、同じ方向へ、過去を運んでいく。
咲夜は袖で涙を拭い、深く息を吸った。
(… 戻るしかないか)
そう思った瞬間
胸の奥で何かが鈍く音を立てて閉じた。

屋敷へ戻るとそこには、待ち構えるように3人がいた。
陽菜、おすず、そして… 藤川。
空気が異様に重い。
次の瞬間、藤川の拳が飛んだ。
鈍い音。
咲夜の視界が揺れ、頬に熱が走る。
「この…!!」
藤川の怒声が壁を震わせる。
「お前、ワシの嫁に手を出したな!!!」
言いがかりをつけられ訳が分からなかった。咲夜は、殴られたまま立ち上がりもせず、ただ自分の手を見つめぽつりと呟く。
「ゆき… 相変わらず柔らかかった、お前らと違ってな」
咲夜の言葉を聞き、おすずと陽菜は雪美を抱いたと勝手に勘違い… その場の空気が、一気に凍りついた。
陽菜の顔が引き攣り、おすずの目は光る。
視線を自分の手へ落とす。まだ温もりが残っている、指先が、わずかに震えた。
「… やったんだね」
陽菜の声は、低く、冷たい。
「… 抱いたんだ」
怒りのあまりおすずは口元を歪める。
「なるほどねえ… だから、あんな顔して帰ってきたわけだ。直ぐに申又に文を出しな!!」
陽菜が叫ぶ。
「今すぐよ!!あの女、もう放っておけないんだから!!」
その声を聞きながら咲夜は、ゆっくりと顔を上げ、そして――
気付かれないように、にやりと笑った。
それは、反抗でも挑発でもない… けど確かに何かを企む者の、笑みだった。
「「絶対許さない… 」」
藤川の話しはそっちのけ…
屋敷の闇は、さらに濃くなっていく。
この夜から、嘘と誤解と執着は、もう後戻りできない速度で絡まり始めていた。