鏡と前世と夜桜の恋
-- 数日後
雪美は今日も咲夜と約束したその場所に立っていた。
朝であろうと、夕暮れであろうと、雨が降ろうと。誰に咎められずとも、誰に見られずとも、ただそこに立ち続ける。
待つことだけが、雪美に残された生き方であるかのように。
「… お前はまた、ここか」

背後から荒い息がかかる。追いかけてきた申又がためらいもなく雪美の腕を掴んだ。
「帰るぞ」
引きずるように屋敷へ連れ戻そうとしたそのとき、申又は吐き捨てるように言った。
「咲夜は死んだ!何度言えば分かる!?」
その言葉に雪美の足が止まる。しかし次の瞬間、ゆっくりと首を横に振った。
「… いえ、信じません」
か細い声だった。
けれど揺れはなく逃げもなかった。
「私は… 待ち続けます」
申又の胸に鈍い何かが突き刺さる。日が落ちても、夜が更けても、雪美は毎日欠かさず、同じ場所に立ち続けている。
その姿が、どうしようもなく気に食わなかった。
雪美を手に入れたのは俺だ、屋敷に囲い、衣を与え、名を守ったのも俺だ。
なのに、なぜ。
なぜまだ咲夜に負けている。
見えぬ死人に心を奪われ続けている。
申又の中で、愛とも執着ともつかぬ感情苛立ちへと形を変えついに頂点へ達した。
「…もういい」
掴んでいた雪美の腕を乱暴に払いのける。
「お前は売りに出す、ここにはもう居場所はない。とっとと出て行け!!!」
「……。」
あまりに突然の言葉に雪美は声を失った。
問い返すことも泣き叫ぶこともできず、ただ深く頭を下げるしかなかった。
拒む力も、抗う術も、雪美には残されていなかったからだ。
こうして雪美は、咲夜の死を信じなかったというそれだけの理由で、申又の腹いせのように遊郭へと売られた。
人の心を信じた罪。
待ち続けたという、たった一つの誠。
雪美はそれを抱いたまま、灯りの赤い格子の向こうへと静かに消えていった。
その背を見送る者は誰一人いなかった。