鏡と前世と夜桜の恋

「まだ男の名に縋ってるのかい」

「ここじゃそんなもの何の値打ちもないよ」

笑い声が廊下に転がる。

それでも翌朝、雪美は1番に起床

腫れた足で立ち
割れた爪を隠し
声が枯れても唄を外さない。

「… 気に食わない女」

そう吐き捨てられ、盃の稽古では酒を無理に飲まされ吐けば床を拭かされた。


泣けば楽になる。
折れれば、終わる。

だが雪美はどちらも選ばなかった。

負けず嫌いだった。
この遊郭でそれは狂気に近い資質だった。

水揚げの日が近づくにつれ、嫌がらせは教育と名を変え制裁に変わった。失敗を待たれ、わざと難しい客の所作を押しつけられ

それでも八重桜を完璧にこなした。


笑みは崩れず
目だけが静かに死んでいった。

鏡の中の女はもう雪美ではなかった。だが、八重桜としてはまだ散っていない。

それでも雪美は、夜が明けると必ず身支度を整え、窓のない部屋でただ静かに座っていた。

心の中で約束の場所を思い浮かべながら。

今日も待っている。
きっと生きている。


私は散るために咲かされた花ではない。踏まれても折られても、重なり合って、なお咲く花。

それは、ある昼下がりのことだった。

女将の一声で雪美達は広間に呼び出された。理由は告げられない。ただ、そこには遊女たち全員が揃えられていた。

「お前たち」

… それぞれ水揚げの日が近付く。


畳の上に並ぶ緊張と視線。

好奇、嘲り、そしてほんのわずかな安堵… 次は自分だとここで生きていく為、みんな必死で頑張っている。

「次の水揚げの子が決まったよ、八重桜、お前だ」

女将が雪美の肩を指先で軽く叩いた。
その一瞬で場の空気が変わった。


他の遊女達は、八重桜が先に水揚げを迎えるなど納得行く訳がなく…

雪美は俯いたまま何も言わなかった。

この世界は言葉が通じぬ場所だということをもう嫌というほど知っていたからだ。

女将の話しに、納得か行かない年嵩の遊女が一歩前へ出る。

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