鏡と前世と夜桜の恋
次の水揚げに選ばれたのは、雪美。
嫉妬と嫌味が渦巻く廓の中で、雪美は一言も弱音を吐かなかった。
嫌がらせを受けても毎日毎日、爪が割れるまで三味線を弾き、声が枯れるまで唄い、誰よりも遅くまで稽古を続けた。
負けず嫌い、それが雪美の唯一の武器。
「あの… 今日もお願いがあるの… 」
「何でしょう?」
雪美は自分のお世話係をしてくれるキリシマに今日も恐る恐る声を掛ける。
「あの… また街に行きたくて… 」
一瞬の沈黙のあと、キリシマは柔らかく笑った。
「初見世の刻には戻りますよ」
その言葉には、縛りと、ほんのわずかな自由が混じっていた。
雪美は申又に金で売られた、囚われの身。この世界の遊女が一人で外を歩くことなど、許されるはずがない。
それでも——
街に着けばキリシマは決まって言う。
「それでは、ここで待っています」
それ以上は追わない。どこへ行くのかも、誰に会うのかも、問わない。
(気にならないのかしら…)
胸の奥が、少しだけ疼く。
雪美は微笑みいつもの団子屋へ足を向けた。
湯気の立つ甘い香りに包まれながら串を受け取り、歩く。
咲夜との約束の場所へ。
「さく、来るかなあ… 」
日が傾き始める。
団子の串を1本、また1本… 気づけば指は蜜でべたつき、胃は甘さで満たされていた。

「さくがなかなか来ないから… ここでお団子、何本食べたかしら私… 」
けれどこれは、ただの食い意地ではない。
" 願掛け "
さくに会えますように。
ここへ来ると、必ず沢山食べる。
それは雪美なりの、祈りだった。
甘い蜜が唇に残るたび、
胸の奥の寂しさを誤魔化すように。
-- 初見世の刻が迫っている。
それでも雪美はなかなか立ち上がらない。咲夜が来ると信じているから… だがこの日、待っても咲夜は現れなかった。
雪美は毎日のようにキリシマにお願いし、初見世が始まるギリギリまで咲夜が来ないかと約束の場所で待ち続けた。