鏡と前世と夜桜の恋
ーー 朝。
夜が明け、遊郭の外へと出た咲夜は、約束の場所でゆりねと落ち合った。

表情は険しく、昨夜の余韻など微塵も残っていない。
「… ゆきが危ない」
低く告げる。
「今、身請けのための金は用意しております。ですが… あの一族が妨害しており、こちらへ届けられず… 」
ゆりねの声にも、焦りが滲む。
咲夜はしばし黙り込む。拳を握り締め、何かを決意するように目を伏せた。
" このままでは守れない "
咲夜は意を決して、顔を上げる。
「… 二日」
「… 咲夜様?」
「二日ほど、ゆきを頼む。その間は何人たりとも客を入れるな」
「… 承知しました」
「俺は、一度向こうへ戻る」
その言葉に、ゆりねの表情が曇る。
「相手は極悪非道、何をするか分かりません。咲夜様、どうかご無事で… 」
「大丈夫だ」
短く言い切る。
「ありがとう、ゆり」
その一言だけ残し、黙り込むゆりねに咲夜は背を向け、この日の夜、咲夜は列車に乗り、長崎へ戻る…
その前に一箇所、咲夜にはどうしても立ち寄りたい場所があった。
京の外れ、山裾にひっそりと佇む古寺。
春の名残を含んだ風が、まだ冷たさを帯びたまま石段を撫でていた。遠くで鶯が鳴き、どこか穏やかなはずの景色は、咲夜の胸の内とはあまりにも対照的だった。
本来ならそのまま京へ向かうはずだった。
だが、汽車に乗り込む直前… 母の言葉が脳裏をかすめた。
足は勝手に向きを変えていた。
… 蓮稀。
その名を思い出した途端、胸の奥に押し込めていた何かが、静かに軋み出したのだ。
「… ここか」
苔むした石畳を踏みしめ、咲夜は " 政条家 " の墓前へと辿り着く。
立派な墓石を指でなぞることすら出来ず、ただ立ち尽くす。
蓮稀と鈴香もここに居る…
やがて、ゆっくりと手を合わせた。
「蓮稀… やっと来れたぞ」
声は低く、静かだったが、奥に押し殺した感情が滲んでいた。
「ゆきの事、本当にありがとう」
目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのはもう会えぬはずの顔。
「… お前は、鈴香と穏やかに過ごせてるか?」