鏡と前世と夜桜の恋
その次に沈黙を破ったのは咲夜だった。
「… ゆきの事を身請けしたい、金を用意して欲しい」
頭を下げて頼み込む咲夜の姿を見た母上は何も言わず懐から金を差し出した。
「咲夜さん後悔するよ… 覚えときな」
一部始終を見ていたおすずは悔しそうに捨て台詞を吐き、陽菜を連れて出て行った。
「… いつも迷惑をかけて、すまぬ」
低く落ちた声に、母は静かに首を振った。
「ゆきちゃんのこと、大切にするのよ。蓮稀が出来なかったことを、あなたがするの」
その言葉は、優しさよりも重く、咲夜の胸に沈んだ。込み上げるものを押し殺しながら、ただ大きく頷く。
振り返らずに家を出る… 軋む戸の音が、妙に遠く感じられた。
やがて汽車に乗り込み、揺れる車窓の向こうへと視線を逃がす。京へ戻る道は、やけに長く感じられた。
――その日の夜。
灯りと香の匂いが混ざる遊郭の一角。雪美のいる店とは別の場所に、咲夜は客として足を踏み入れていた。
政条家の名は、この界隈ではよく知られている。咲夜が現れれば花魁達は競うように近づいてくる。

「ゆきーーー」
酒に濁った声で名を呼び、咲夜は女を軽くあしらう。
「お前なんかよりゆきの方が可愛いぞ」
周囲の視線など気にも留めず、ゆきの名だけを繰り返す姿は端から見れば完全に酔客だった。
「俺はゆきと、客として以外で… 普通に抱いたことなんて無いんだよ、あの猿… 」
吐き捨てるような独り言。
だがその目の奥には、酔いとは別の冷たい光が宿っていた。
やがて店内にざわめきが走る。
―― 申又様が店に来た。
その報せを聞いた瞬間、咲夜の表情が変わった。
静かに立ち上がると、居並ぶ花魁の中から最も位の高そうな一人を指名し、奥の部屋へと入っていく。
襖が閉じられ、外界の音が遠のく。
咲夜が選んだ花魁… その正体は、申又の通う店に潜り込んでいた“ ゆりね ”だった。
「咲夜様、本当に宜しいのですか?」
不安げな問いに咲夜は短く答える。