鏡と前世と夜桜の恋
「命じられたからと自らの身を守る為、平気で人を傷つけてよいのか?」
誰も答えられない。
蓮稀は夜空を見上げる。
その瞳に浮かんだのは、もう二度と会えぬ愛しい人の姿だった。
「俺もかつて最愛の女を奪われた」
風が吹く。
月光で青銀に見える短い髪が揺れた。
「… 鈴香という女だ」
その名を口にした瞬間、声がわずかに掠れる。
「奴らは正義を掲げていた」
拳が震える。
「… だが結果はどうだ?」
蓮稀はゆっくりと岡っ引達を見た。
「鈴香は人権を奪われ玩具にされた」
沈黙。
「やりたい放題誰も責任を取らなかった」
低く怒りを押し殺した声。
「だからお前達に聞く」
蓮稀は一歩前へ出る。
「お前達が今追っているのは本当に悪人か?」
岡っ引き達の顔が強張る。
「あの一族が怖いというのなら、政条家が全面的に保護する、怯える者を追い立てることが正義なのか?」
蓮稀の言葉は重く胸に突き刺さる。
「それを見て、本当の悪人は誰だと思う?」
「今追われている者か?それとも権力を盾に罪を隠している者か?」
誰も答えられない。
岡っ引きの一人が膝をついた。
「は、蓮稀様… も、申し訳ございません… 」
蓮稀は目を閉じ静かに告げた。
「咲夜を追うよりあの一族の悪事を全て調べろ。咲夜と陽菜の婚姻も… 時が来たら必ず行われる」
「証も噂も全てだ、真実を洗え」
岡っ引達は顔を見合わせる。
蓮稀は背を向けた。
月明かりがその背中を照らす。
「それと――」
肩越しに振り返る。
黄金の瞳が妖しく光った。
「もう一度言う、俺が生きていることは絶対に伏せておけ」
その声には逆らえぬ威圧があった。
「はっ!」
岡っ引き達は一斉に頭を下げる。
蓮稀は来た道を引き返し歩き出す。胸の奥では、今も鈴香の面影が消えることはなかった。
――鈴香。
――もしお前が生きていたなら。
夜風だけが、その答えを知るように静かに吹き抜けていった。