鏡と前世と夜桜の恋
夜も更け、屋敷は静まり返っていた。
障子が静かに開く音とともに、咲夜は何も言わず部屋へ戻り、その姿を見つけた陽菜は、待ち侘びていたように駆け寄った。
「咲夜さん… 待ってたの、待ち切れない、私の中に… 中に… 早く抱いてぇ」
震える声だが、愛を求める声ではない。

捨てられたくない、咲夜との繋がりが何としてでも作らないと、焦燥と執着が入り混じった声だった。
「咲夜さんとの繋がり… 誰にも奪えない証が欲しいの… 子供が出来れば咲夜さん永遠に私から離れられないでしょ?絶対に離さないからね?」
陽菜は笑い、瞳は潤んでいた。
しかし、その奥には壊れたような光が宿っている。
咲夜を愛しているというより咲夜という存在を自分だけのものにしておかなければ生きていけない―― そんな狂気にも似た執着だった。
咲夜は静かに陽菜を見つめる。
その瞳には怒りも悲しみも喜びもなく、魂だけがどこか遠くへ置き去りにされていた。
人形のような虚ろな目…
心はもうとっくに壊れてしまっていた。
それでも口元だけは優しく微笑む。
昔と変わらぬ穏やかな笑み。
誰もが安心するような、政条家の次男としての ” 咲夜 ” を演じる笑みだった。
「… わかった」
短く答える声には温もりすらない
それでも陽菜は、その微笑みを信じ咲夜は私を求めて喜んでいると勘違いし飛び跳ね咲夜に抱き付く。
咲夜は拒まなかった。
拒む力すら、もう残っていなかった。
自分の望みも、幸せも、未来も。
すべてあの日、覚悟を決め、雪美へ別れを告げた河川敷に置いてきた。
ここにいるのは、生きている咲夜ではなく政条家のために息をしているだけの抜け殻
陽菜はその異変に気づかない… いや、気付いていても見ようとはしなかった。
陽菜はただ必死で、子供という絆があれば、咲夜は自分から離れない。そう信じ込まなければ、陽菜は陽菜で不安に押し潰されそうだった。