鏡と前世と夜桜の恋
咲夜と自分の思い出に自分が入る資格はない、蓮稀の想いを雪美は分かっていた。
雪美は再び、桜の木を見上げた。
枝いっぱいに咲く花々。その向こうに、かつての咲夜の笑顔が見えたような気がした。
「… さくは」
唇が、小さく震える。
「さくは… 許してくれるのかしら」
雪美は膝の上でそっと両手を握りしめた。
「私が… 生きることを」
その声は、春風に消えてしまいそうなほど小さく…
愛する人を失って。咲夜と過ごした日々を胸に抱いたまま、自分だけ蓮稀と明日を迎えてもいいのだろうか。
咲夜のいない世界で、笑ってもいいのだろうか、雪美はずっとその答えを見つけられずにいた… その瞬間だった。
―― ゴオッ。
丘を吹き抜ける風が、突然、強くなった。

「… あっ」
雪美が顔を上げる。
大きな桜の枝が揺れ無数の花弁が一斉に空へと舞い上がった。まるで、桜そのものが雪美の身体を包み込むかのように。
薄紅色の花弁が、雪美の髪をかすめ肩を通り過ぎ青空へと高く舞い上がっていく。
雪美は目を見開き、震える唇をそっと押さえた。
「… さく… ?」
返事はない。
蓮稀もまた、舞い上がる花弁を見つめていた。暫くして、蓮稀は静かに口を開いた。
「… まるで、咲夜が生きろと言っているようだな」
雪美の瞳が、大きく揺れた。蓮稀は桜を見上げたまま、続けた。
「お前に、生きていてほしいのだろう」
その言葉に、雪美の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「… そう、かしら」
「ああ」
蓮稀は、今度は雪美を見つめた。

「咲夜がお前を心から愛していたことは、俺が一番よく知っている」
その声にかすかな痛みが滲んでいた。
「ならば… お前が生きることを、咲夜が望まぬはずがない」
雪美は俯いた。涙が、ぽたりと膝の上に落ちた。
悲しかった。
咲夜に会いたかった。
もう一度、あの優しい声で " ゆき " と、名前を呼んでほしかった。
けれど、ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、息をしていてもいいのかもしれないと思えた。咲夜のいない春を、もう一度だけ迎えてみてもいいのかもしれない。
「… 蓮稀」
「なんだ」
「私… もう少しだけ、生きてみる」
蓮稀は何も言わなかったが、その眼差しが、わずかに和らいだ。