鏡と前世と夜桜の恋
ーー その日の夜
雪美は夢を見ていた。
長崎の丘に咲く1本の桜の木。
蓮稀に連れて行ってもらった、咲夜との思い出の場所。
あの木の下で確かに感じた気がした、もう二度と触れることのできない、忘れられない愛しい人の気配。
―― さく
その名を胸の内で呼んだ瞬間、景色はゆっくりと変わっていった。
まだ咲夜が生きていた頃…
気がつけば、雪美は咲夜と並んで河川敷を歩いていた。川面は夕陽を受けて金色に輝き、柔らかな風が二人の着物の袖を揺らしている。

川岸には、赤や桃色の椿が見事に咲き誇っていた。
「ねえ、さく見て!綺麗!」
雪美は嬉しそうに声を弾ませ、川岸に咲く椿を指差した。
その瞬間だった。
――ぼとっ。
「ひっ!」
指差したばかりの椿が、花弁を散らすこともなく、花の形をそのまま残して地面へ落ちた。
雪美は目を丸くして、思わず肩を跳ねさせた。
それを見た咲夜は堪えきれないとばかりに吹き出した。
「… なんだ、そのマヌケ顔は!」
「もう、笑わないでよ //」
「いや、無理だろう。今の顔、他の者にも見せてやりたかった… 」
「もう!!さくの意地悪!」

雪美は頬を膨らませると、落ちた椿をそっと拾い上げた。掌に乗せた花は、驚くほど綺麗な形を保っていた。
「… 可哀想」
先ほどまで笑っていた咲夜が、ふと口を閉じた。
雪美の掌にある椿へ視線を落とし、それから、彼女の横顔を見つめる。
「可哀想ではないぞ」
「え…?」
「椿はな、花が落ちて初めて輝いて見えることもある」
咲夜の声は、いつになく穏やかだった。
「花弁を一枚ずつ散らすのではなく、花そのものが落ちる。最後まで椿という形を残してな」
雪美は、手のひらの花を見つめた。
散ってしまうことが悲しいのではない… 散り際にさえ、その花らしさを失わない。
咲夜の言葉は、なぜだか胸の奥に深く沈んでいった。
「… 椿って、素敵な花なんだね」
そう呟いて顔を上げると、咲夜がこちらを見つめていて、二人は川岸に腰を下ろした。