鏡と前世と夜桜の恋
いつしか、雪美の頬からは、恥じらいだけではない熱が広がっていた。
咲夜はそれを見逃さなかった。
「… ゆき」
名を呼ぶ声が、先ほどよりも低くなる。
「俺を見ろ」
雪美はゆっくりと顔を上げた。
二人の視線が重なる。
その瞬間、咲夜の表情から悪戯っぽさが消えた。
「… 好きだ」
あまりにも不意打ちの言葉だった。
「お前が思っているより、ずっと」
雪美の目が揺れた。
胸の奥が苦しいほどに熱くなる。
もう二度と聞けないと思っていた声。
会えないと思っていた人。
咲夜が京に住み始めた頃の思い出… これは夢だとわかっているのに、どうしてこんなにも温かいのだろう。
雪美は震える唇を開いた。
「… 私も、さくが… 」
言葉の続きを紡ごうとしたその時、咲夜が雪美の手に自分の手を重ねた、ぎゅっと。
「あっ…!!!」
掌の中で、椿が押し潰された。
形を保っていた花が歪み、赤い花弁の間から、濃い色の汁が滲み出す。
雪美は慌てて咲夜を見上げた。
「な、なんで!潰れちゃう!」
咲夜は重ねた手を緩めると、潰れた椿を二人の間にそっと置いた。
そして雪美の顔を覗き込む。
「わざと潰したんだよ」
「え?」
「二人が愛し合った証だ」
ぽかんと口を開ける雪美… 咲夜はそんな相手を見て、満足そうに口角を上げる。
「な、な、なにが… !」
雪美が眉を寄せると、咲夜は声を立てて笑った。
「もう!さくの馬鹿!」
雪美が顔を背けると、咲夜は笑うのをやめ、そっと手を伸ばし雪美の耳にかかった髪を指先で払う。
「… 拗ねるなよ」
その声音は、先ほどまでとは打って変わって優しかった。
「花は潰れたが、お前の手はここにある」
咲夜は、雪美の手を取った。指を絡めるようにゆっくりと握る。
「俺が欲しいのは、花じゃない」
雪美の目に、涙が滲んだ。
「… さく」
「お前だ、ゆき」
咲夜は微笑んだ。
その笑顔は、いつも雪美をからかっていた、あの懐かしい笑顔だった。
雪美は咲夜の手を強く握り返した。

愛おしそうに微笑んだ咲夜は、雪美の額に優しく口づける。
「帰りたくなくなったか?」
「… うん」
小さな返事に、咲夜は目を細める。
「そうか」
そして、雪美をそっと抱き寄せた。
「なら、もう少しだけここにいろ」
蔵の窓から差し込む夕陽が、二人の影を長く伸ばしていく…
床に落ちた椿は
もう元の形には戻らない。
けれど、その花を見つめる雪美の胸には、不思議と悲しみばかりではない感情が広がっていた。
失われたものがある。それでも、確かにここに残っているものもある。
咲夜の声。
咲夜の手。
そして、あの意地悪な笑顔。
雪美は咲夜の胸に顔を埋めた。