鏡と前世と夜桜の恋
「… さく、大好き」
その言葉に、咲夜は一瞬だけ目を見開き、やがて、照れ隠しのように雪美の頭をくしゃりと撫でる。
「… 知ってるよ、馬鹿」
そう言って笑う声が、やけに優しかった。
―― その温もりに包まれながら、雪美は静かに目を閉じた。
夢だと、わかっていた。
それでも…
どうか、あと少しだけ。
この夢が覚めませんように。
そう願わずにはいられなかった。
そして、遠くから誰かが雪美を呼ぶ声がした。
「… 雪美」
聞き覚えのある穏やかな声。
夢の景色が、ゆっくりと薄れていく。
雪美は咲夜の手を握りしめた。
「… やだ、待って、さく… 」
咲夜は困ったように笑った。
「またな、ゆき」
その唇が、最後にもう一度だけ、雪美の額へ触れた。
「… 泣くなよ」
次の瞬間、雪美は目を覚ました。
頬を伝う涙。
胸に残る、確かな温もり。
そして、耳の奥に残るあの声。
" ガキだな、お前。"
雪美は涙に濡れた顔のまま、小さく笑った。

「… ほんと、意地悪なんだから… 」
窓の外では、風に揺れる桜の枝が朝の光を受けていた。
蓮稀に連れて行ってもらった、あの桜の木… あの場所で感じた気配は、気のせいだったのだろうか。
雪美には、わからなかった。
ただ一つ胸に残っているものがあった。
前に咲夜が教えてくれた、椿の話… 花弁を散らさず、花そのものが落ちること。
その花を二人で握りしめた感触。
雪美はそっと自分の掌を見つめた。
そこには、椿はなかった。
それでも、咲夜の手の温もりだけは、いつまでも消えずに残っている気がした。