鏡と前世と夜桜の恋
ーー 蓮稀に夫婦になろうと告げられてから、幾年かの月日が流れた。
雪美は今、蓮稀の妻として政条家の屋敷で穏やかな日々を過ごしていた。
ある夏の夜、雪美は縁側に腰を下ろし涼を取っていた。
目の前には水を張った大きな盥。そこに両足を浸し、夜風を感じながら団扇をゆっくりと動かしている。
庭からは虫の声が聞こえ
月明かりが静かに庭を照らしていた。
「… ふぅ、涼しい」
雪美が小さく息をついたその時だった。
「雪美」
背後から聞き慣れた声がした。
雪美は団扇を動かす手を止め、優しい笑みを浮かべながらゆっくりと振り返った。
そこには蓮稀が立っていた。

穏やかに微笑むその顔。
その笑顔を見た瞬間、雪美の胸が不意に高鳴った… 咲夜の面影を感じさせる、優しい笑顔。
「… さく… 」
思わず口からこぼれた名前。
雪美ははっとして、すぐに笑みを取り繕った。
「蓮稀… 一緒に涼む?」
そう言って、慌てて隣を手で示す。
蓮稀は雪美を見つめたまま、優しく微笑み静かに口を開いた。
「… 咲夜を、まだ思い出すか?」
「え… 」
「あれほどまでに愛し合ったというのに?」
その声にはわずかな嫉妬と悪戯心が滲む… 雪美は返事をせず慌てて盥から足を上げ、傍らに置いてあった手拭いで濡れた足を拭き、立ち上がった。
蓮稀の横を通り過ぎようとしたその瞬間。
後ろから腕を伸ばされ、雪美の身体が優しく、逃げられないほど強く抱き締められた。
「…っ//」
雪美は蓮稀の腕にそっと手を添え、何も言わず、ただその腕に触れた。
すると、耳元で低い声が響いた。
「… 何故、何も話さぬ」
雪美の肩が小さく跳ねた。
「だって… さ… 」
「ん?」
「さく… 」
最後まで言い終える前に、蓮稀の手が雪美の頬に添えられた。
顔だけを振り向かされ、そのまま唇を塞がれ不意の口づけに、雪美は目を見開いた。
唇が離れるわずかな合間に、雪美が小さく呼ぶ。
「は、蓮… 稀… // 」
蓮稀は雪美を見つめ少し拗ねたような表情で告げた。
「今だけ咲夜の話はしないでくれ。今、一緒にいるのは俺だ」
その言葉に、雪美はゆっくりと蓮稀の方へ向き直り、蓮稀の背中に両腕を回す。
唇を離し、下から真っ直ぐに見つめると、柔らかな笑みを浮かべた。
「… お慕い申しております」