鏡と前世と夜桜の恋
言い返したくとも相手は国家権力を握る町奉行所の娘… そして何より、殴り合ってもおすずの体格に勝てる気がしない。
「おすず、何ふざけたことしている…」
負けず嫌いの雪美は跪かされたまま、ただ解放されるのを待っていると、優越感に浸るおすずに対して静かに怒る低く優しい男の声が聞こえた。
「は、蓮稀様!?これは、その… 」
慌てるおすずに対し溜め息を吐き睨み付けたのは政条家の長男、蓮稀。
俺がこれから綴る内容は、雪美が6歳の頃… 蓮稀と初めて接触した頃のお話し。
「よくもそんな卑劣な事が出来るな」
この出来事がきっかけで幼いながらも雪美の小さな恋心に更に火が灯った。
-- 数日後。
雪美は今日も蓮稀に助けて貰ったあの川の横を歩いていた。

" 蓮稀にまた会えないかな? "
あの時の胸の高鳴りが忘れられない。
タンポポが花から綿毛に変わる季節… タンポポの綿毛を見つけた雪美は嬉しそうに駆け寄り、花は摘まずにしゃがんで一生懸命何度も息を吹きかけていた。
「摘み取り飛ばせば良いのに… 」
聞き覚えのある優しい声が背後から聞こえて雪美は思わず " 蓮稀!" と、しゃがみ込んだまま振り返る。やだ私ったらこんなにもテンション上がって… 気持ちバレちゃう、そんな自分に照れ臭さを感じる。
「綿毛でも咲いてるのよ!可哀想摘んでしまったら… 」
「どうして俺の名を?てっきり地面に息を吹きかけて遊んでいるのかと…」
「この前助けて貰った時に… はあ!? 」
くすっと笑う蓮稀に対しムッとする雪美。
どうせ子供扱い。蓮稀は " ああ、あの時の " と、言いながら雪美を立たせて着崩れた着物を直してくれた… そんな行動にさえドキドキする。
「名はなんと言う?」
蓮稀と話してると思うと変に緊張する。
「私は雪美、真っ白な雪に美しいって書くの…」
「雪美... いい名だな。だがお転婆なお前には似つかぬ名前だ」
意地悪な顔をして笑う蓮稀にムッとしながらも雪美は " 自分から名乗らないとかダメじゃない " とこっそり1人反省会。
落ち込む相手に気付いた蓮稀は
突然、雪美の顔を覗き込んだ。
「え!な、な、なんですか!?」
待って、顔が近い…
赤く染まった自分の頬を両手で隠す。雪美の仕草を見た蓮稀は " 変な顔をしている " と言って雪美をからかうように笑う。
「ねえええ!!!//」
「…もうあの女には2度と捕まるな」
あの女って…
もしかしておすずさんのこと?
それだけ言った蓮稀は雪美の頭を軽く撫でその場を去る… 何度も深呼吸をしながら高鳴る心臓の鼓動を落ち着かせ、蓮稀の後ろ姿が見えなくなるまでその場に留まっていた雪美は " 私の名前覚えて貰えた! " と、上機嫌でスキップしながら家に帰る。

" 話がある "
帰宅して早々、真面目な顔をした両親に呼ばれた雪美は2人の待つ部屋に向かう。
「…そこに座りなさい」
「なんですか、父上?」
「雪美、遊びに出かけるのは構わぬがひととき前は何をしていた?」
真面目な表情の父と母。
「… あまり目立つ事はしないでおくれ」
目立つこと?何の話?
「おすずさんと会ったのでしょう?」
「あ、あれは私が悪い訳ではありません!」
私は何もしてないのに… 母に名を出され、把握した雪美は話しの内容に対し反論の声を荒げる。
「… 雪美、あなたは悪くなくとも相手を考えて目立つ事は避けなさいとお父様は仰ってるのよ」
両親の話しに納得が出来ず、家を飛び出し雪美が向かったのは、いつ忍び込んでも人の出入りの無い蔵の小屋… ここは雪美の密かにお気に入りの場所だった。

" 父上も母上も嫌い!私は悪くない… "
ただ歩いてただけよ?あの人がいると外も歩けないってこと?そんなのどう考えてもおかしいじゃない。
目立つこと?ただ歩くだけで?
あの時の感情を思い出し沸々と怒りが込み上げてくる。独り言を言いながら拗ねていると、普段開くことのない蔵の扉が突然開いて雪美は大慌て。
" ど、どうしよう… "
不法侵入で絶対怒られる、それこそ父上と母上の耳に入ればどうなるか… 雪美は息を殺し身を潜めた。