金の葉と、銀の雪
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「本来なら父親が新郎の元へ連れていくのだけど、ミコトの場合ここに父親がいないから、彼がピンチヒッターになります」
と、ベールで災厄から守られた三琴の手を引いて、ヴェネッサが父親役のドライバーの元まで案内する。
 双子は依然ニコニコ顔で、三琴のベールの裾を持ち従う。もう花嫁入場の瞬間が楽しみでたまらない。
 三琴の父親役は、瑞樹をここまで運んできたドライバーだ。初老の男性で、その頭に少し白いものが混ざっていた。
 三琴が双子に引っ張られて控室へ戻ったときの、春奈と脩也の会話の意味がわかる。確かに、このルックスなら年齢的に花嫁の父親役に相応しい。この彼に白羽の矢が立ったことに納得がいく。
 よろしくお願いしますと三琴が挨拶すれば、こちらこそ光栄ですとドライバーも笑みを浮かべた。

「じゃあ、手順はさっきいったとおり。多少間違えても大丈夫よ。みんな緊張しちゃうもんだし、そうなったらそうなったで、それもいい思い出よ」
 そうヴェネッサは激励し、ウインクをする。うんと三琴が頷けば、聖堂への扉が開かれた。


 時刻は夕方で夜の帳が下りはじめる頃、しかし聖堂はやわらかな光で満ちていた。
 ベール越しに三琴は聖堂を一望する。石造りの小さな教会は、小さくとも歴史を感じさせる威厳があった。
 聖堂正面にはステンドグラス、左右の壁にも明り取りの窓がリズミカルに並んでいる。それらは溢れる室内の灯りを受けて、キラキラと輝いていた。
 温かな光の中で父親役と三琴が一歩聖堂内へ踏み込めば、教会特有のあの長い椅子には誰もいない。参列者がいなければ、椅子を飾るお祝いのガーラントもなく、入場行進のパイプオルガンの音色もない。撮影をしているはずの春奈の姿も見当たらない。正面奥に、ただ牧師が控えているのみだ。

 ひどく、静かで、無機質で、簡素な風景。
 でもひどく、限られた人のみが享受できる敬虔さに満ちている。

 静かに静かに、温かな色の灯りだけがともっている。
 結婚式を挙げるのに、明るい昼の時刻の、大勢の参列者がいる開放的な教会もいいだろう。
 だがこのどこか秘密の匂いを含んだ夕方の教会だって、悪くない。これはきっと究極にまで余分なものをそぎ落とし、三琴が一番きれいに写るように、春奈が考え抜いたものに違いない。

 一歩足を運べば不思議なことに、三琴の中から緊張が取れていく。三琴の中の要らないものが抜けていって、体が軽くなっていく感じがするのだ。扉の前でのドキドキ感が嘘のよう。自分でもびっくりするくらい早く三琴は場に馴染んでいた。
 踏みしめる靴裏からは、しっかりとした絨毯の感触。不躾な靴音を吸い取っていく。

 ウェディングロードの始まりで、瑞樹が待っていた。
 ほんの三十分前に再会した夫は黒ずくめのスーツ姿だった。なのに今はシルバーグレイのタキシードに身を包んでいる。髪を整え、ラペルには三琴のブーケと揃いのブートニア。
 黄金色の庭園でみせた余裕満々の笑みはそのままに、背筋を伸ばして三琴のことを待っていた。

 この正装姿の瑞樹をみて、素直に三琴は素敵だと思う。シルバーグレイの服装の瑞樹をはじめてみたが、とてもよく似合っていると思う。三琴を待っている人は、世界中の誰よりもカッコよくて、優秀で、自慢の夫。
 照明の演出もあるかもしれないが、タキシードに控えめな光沢がのり瑞樹が光り輝いて三琴にはみえた。
 三琴が瑞樹の前まで到着する。スマートな物腰で、瑞樹は父親役から三琴を受け取ったのだった。

 そうして、ふたり並んで赤いウェディングロードを歩いていく。
 この歩調は、かつての副社長と秘書のときのリズムではない。あれは業務の都合で刻一刻を気にしていれば、いつも速足であった。
 でも今は、副社長と秘書ではない。夫と妻である。ビジネス・アポイントに拘束されていなければ、完全なるプライベート。急ぐ必要はないのだ。
 だから、ゆっくりゆっくり、しっかり踏みしめて歩いていく。

「怒ってる?」
 顔は正面を向いたまま、小さく瑞樹がささやいた。
 怒っているとは、当日のぎりぎりまで結婚式を内緒にされていたことである。三琴ひとりだけが知らなかったのは、ちょっと悔しい。
 だから正直に、三琴は答えた。瑞樹にあわせて正面を向いたまま、ひそひそ声で。
「少し」
「僕としては早く式を挙げたくて、未確認で進めてしまった。サプライズを狙ったんだけど、姫さまのご機嫌を損ねてしまったのなら……失敗かな?」
 とくんと、三琴の心臓が跳ねた。静まっていた緊張が、先のとは少し違う緊張が復活した。

『早く式を挙げたくて』――そんなこと、ビデオ通話ではひと言も瑞樹は口にしていなかった。
 周りの人の事情を考えれば、三琴は簡単に「式を挙げたい」とはいえなかった。
 あの記憶喪失の事故でどん底までに落とされた過去を思えば、あれから一発逆転をし、三琴は瑞樹と入籍できたのだ。これ以上欲張るのはいけないと、そう自身にいいきかせていた。努めて、いい子ちゃんの三琴でいたのである。
 でもそれは、三琴のほうの考え。瑞樹のほうは違っていたのだと、この場で知る。

『姫さまのご機嫌を損ねてしまったのなら』――「姫さま」といわれて、これにも三琴ははっとなる。それは、極秘交際時代にふざけて瑞樹が口にしていた三琴への尊称だ。もう二度とそう呼ばれることはないと三琴は思っていた。
 小さくささやく瑞樹の言葉に、彼の腕に添えた三琴の手は震えていた。

「どうしたの?」
 震える手だけでなく歩調も少し狂ってしまった三琴に、瑞樹は気がついた。
「いえ、姫さまなんて……私、姫さまって呼ばれる年齢じゃないから、びっくりした」
と照れ隠しでそう三琴はいってしまう。仮にそれが単に愛する人へ向けた尊称であったとしても、三琴は嬉しい。

 三琴はそうやって誤魔化しにかかったが、瑞樹は知ってか知らいでか、こうささやいた。
「そう? いくつになっても奥様は姫さまだよ。世間はどうか知らないが僕はそれだ。それに、そのドレス、よく似合っている。予想どおりだ」
「え?」

『そのドレス、よく似合っている。予想どおりだ』―― それは、どういうこと?
 瑞樹へその質問を投げかける前に、ふたりは牧師の元へ到着したのだった。
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