ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?

3 『今はどうしても彼の力が必要だった』

多恵は、くたびれた社長椅子にどっさりと身を沈め、魂が抜けそうな長いため息を吐いた。

睫毛が深い影を落としている。仰月型の美しい唇は、今や真一文字に結ばれていた。全身から陽炎のように立ちのぼる疲労感──いかにも進退窮まった様子だ。

多恵の瞼の裏に、血色の悪い唇が浮かんだ。縦じわの走ったナメクジのような唇。

〈今さらですねぇ〉

野太い相州なまりが脳髄を突き抜け、多恵の不快指数はさらに跳ね上がった。


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「無理を承知でお願い申し上げます」

駅と庁舎、城跡の杜を見下ろす豪奢な会長室で、多恵は反発する背筋をどうにか押さえ込み、セミロングの黒髪を揺らしながら深く頭を下げた。

視線の先にはオニックスのテーブル。灰皿は瑪瑙。お尻がむず痒くなるようなゴブラン織りの金フレームソファーは、オークションでウン百万円したと自慢してたっけ。

紫檀の本棚には、開かれた形跡のない専門書がずらりと並び、壁には派手な金細工の額縁に納められた巨大な赤富士の絵が掛かっている。柿右衛門風の大皿の横に、見覚えのある赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)が威圧的に鎮座していた。

趣味の善し悪しは別として、多恵が今いる倉庫のような社長室とは、雲泥の差だ。

「電話でも申し上げたとおり、すでに取締役会で決定済みのことですよ」

黒川は口端に咥えたパイプから、甘い紫煙をくゆらせながら、どこか愉快そうに言った。

財力とともに腹にも脂肪を蓄えたのか、ふんぞり返って見えるのはきっと蝦蟇のように膨らんだ腹のせいだ。ぎょろりとした目と大きく張った小鼻。そもそもが大仰な顔立ちなのに、脂ぎった顔艶は他人の生気を吸い取って若返る妖怪のようだ。

多恵は、ダイヤモンドが散りばめられた金無垢の時計と、バカでかいオニキスの指輪に、「どうしたらこんなに俗っぽくなれるのか」とうんざりしながら、ひたすら頭を垂れ続けた。
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