ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ?
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大和は唇をもぞもぞ動かし、鼻の穴をひくひくさせながら、欠伸を噛み殺した。
長閑な昼下がりだ。
週末から滞在していたゲストたちは、ほとんどチェックアウトを済ませ、今このポラリスには、ロングステイの数組が穏やかな午後を過ごしているだけ。
ロビーラウンジのソファでは、谷垣先生が読みかけの絵伝を胸に、気持ちよさそうに微睡んでいる。奥様は先ほど岩盤浴へ向かわれたので、あと一時間は起こされる心配もないだろう。
この時間帯、笙子様は決まってアロママッサージ。須藤様は森を散策されるのが日課だ。
――とはいえ、これだけ晴天が続くと、そろそろ一雨ほしくなる。
乾燥に強いブーゲンビリアさえ、どこか元気がない。須藤様の車を洗車するついでに、庭にも水を撒いておこうか。
そんなことを考えながら、大和がロビーを離れようとしたその時だった。
花園の向こうから、黒塗りの車がゆっくりと近づいてくる。
ランチには遅く、チェックインには早すぎる時間帯。
まさか、お茶をしに? こんな田舎に、リムジンで?
訝しみつつ、大和は玄関で直立不動の体勢をとった。
黒光りする車体が、ゆっくりと目の前に停まる。
恭しく後部ドアに手を伸ばした瞬間――
運転手の制服の肩が、彼の鼻先を直撃した。
「失礼」
制帽をわずかに傾け、運転手は慇懃無礼な調子で言う。
鼻を押さえる大和など意に介さず、男はどこかで観た帝国ホテルのドアマンさながら、滑らかにドアを開けた。
一呼吸置いて、揃った華奢な膝がこちらを向いた。
「ようこそ、ホテル・ポラリスへ」
大和は負けじと、手を両脇に添えて三十度の角度でお辞儀をした。
優雅にはほど遠い動きだった。
「こちらに宿泊中の藤崎を訪ねてまいったのですが……」
顔を上げた大和は、思わず見惚れてしまった。
シフォンワンピースのデコルテから覗く、美しい鎖骨。 贅肉も筋肉もない白雪のような二の腕。
風に揺れるロングヘアは天使の輪を纏い、薄く形のよい唇から出る声は、まるで清らかなフルートの音色のよう。
その淑やかな微笑みを浮かべる女性は――
空から舞い降りた天女か、あるいは眠れる森の姫か。
「……あの?」
女性の背後から、控えめな咳払いが聞こえた。
はっとして、大和は開けたままだった口を慌てて閉じる。
「し、失礼いたしました。ただいまフロントデスクへご案内いたします」
大和は唇をもぞもぞ動かし、鼻の穴をひくひくさせながら、欠伸を噛み殺した。
長閑な昼下がりだ。
週末から滞在していたゲストたちは、ほとんどチェックアウトを済ませ、今このポラリスには、ロングステイの数組が穏やかな午後を過ごしているだけ。
ロビーラウンジのソファでは、谷垣先生が読みかけの絵伝を胸に、気持ちよさそうに微睡んでいる。奥様は先ほど岩盤浴へ向かわれたので、あと一時間は起こされる心配もないだろう。
この時間帯、笙子様は決まってアロママッサージ。須藤様は森を散策されるのが日課だ。
――とはいえ、これだけ晴天が続くと、そろそろ一雨ほしくなる。
乾燥に強いブーゲンビリアさえ、どこか元気がない。須藤様の車を洗車するついでに、庭にも水を撒いておこうか。
そんなことを考えながら、大和がロビーを離れようとしたその時だった。
花園の向こうから、黒塗りの車がゆっくりと近づいてくる。
ランチには遅く、チェックインには早すぎる時間帯。
まさか、お茶をしに? こんな田舎に、リムジンで?
訝しみつつ、大和は玄関で直立不動の体勢をとった。
黒光りする車体が、ゆっくりと目の前に停まる。
恭しく後部ドアに手を伸ばした瞬間――
運転手の制服の肩が、彼の鼻先を直撃した。
「失礼」
制帽をわずかに傾け、運転手は慇懃無礼な調子で言う。
鼻を押さえる大和など意に介さず、男はどこかで観た帝国ホテルのドアマンさながら、滑らかにドアを開けた。
一呼吸置いて、揃った華奢な膝がこちらを向いた。
「ようこそ、ホテル・ポラリスへ」
大和は負けじと、手を両脇に添えて三十度の角度でお辞儀をした。
優雅にはほど遠い動きだった。
「こちらに宿泊中の藤崎を訪ねてまいったのですが……」
顔を上げた大和は、思わず見惚れてしまった。
シフォンワンピースのデコルテから覗く、美しい鎖骨。 贅肉も筋肉もない白雪のような二の腕。
風に揺れるロングヘアは天使の輪を纏い、薄く形のよい唇から出る声は、まるで清らかなフルートの音色のよう。
その淑やかな微笑みを浮かべる女性は――
空から舞い降りた天女か、あるいは眠れる森の姫か。
「……あの?」
女性の背後から、控えめな咳払いが聞こえた。
はっとして、大和は開けたままだった口を慌てて閉じる。
「し、失礼いたしました。ただいまフロントデスクへご案内いたします」