ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?

6 『母娘揃って、同じ目をしやがって!』

山間の出湯の里に陽が落ちて、ローズピンクに染まった川面に渓谷の木々が暗い陰を落としている。窓の景色に晩秋の寂しさを感じるのは、きっと夕靄のせいだ。

「そうして和服をお召しになると、永和さんに瓜二つだ……」

一風呂浴びた浴衣の裾から毛蟹のような脚を覗かせ惚れ惚れ言う黒川に、差し向かいに酒を注ぎながら、それはそうだろうと多恵は心の中で答えた。

顔立ちも体型も、多恵は母の生き写しだとよく言われる。そのうえ、母の形見の墨色の夏大島に鷺草の絽の帯を着けているのだから、黒川には懐かしくて堪らぬはずだ。

多恵の記憶のなかの母はいつも着物姿だった。
突然一人で海外旅行へ飛び立ったり、周囲の反対を押し切って駆け落ちしたりと、剛胆で男勝りのくせに、見かけはとことん女らしいひとだった。

世話好きで朗らかで愛情表現が豊かで、どんなに忙しいときでも、朝と晩には必ず多恵を抱きしめ「私の可愛い多恵」と唄うように頬ずりしてくれた。
お気に入りのローズガーデンで、鼻歌混じりに花を愛でる母の笑顔は、太陽のようだった。

──お母様、ごめんなさい。

今の娘の姿を見たら、きっと情けなくて泣くだろう。

「多恵さんはいくつになられました?」

女性の歳を無遠慮に訊ねる男の背後に、もうススキと萩が活けられていた。
掛け軸には『雲出洞中明』、松風のように聞こえるのは、潮騒ではなく窓下を流れる川瀬の音だ。

その昔〈海のゆきむら、山の翡翠楼〉と並び称された老舗旅館だけあって、どこを切り取っても絵になる。訪れたのは初めてだけど、とても懐かしい匂いがした。

「三十五になりました」

「ほう、女としては一番いい時期ですなぁ」

情緒あふれる特別室で、黒川はまるで肉の食べ頃を言い当てるように、八寸の珍味を口へ放り込みながら言う。
見れば見るほど蝦蟇に似ている。気分が悪くなりそうで、多恵は視線を下向けた。

先刻から彼は、九谷や織部の美しい器にも、腕の良い料理人がこしらえた会席膳の凝った盛りつけにも目もくれず、運ばれてくる料理を貪るように平らげると、次の料理が待ちきれず仲居を呼びつけている。
貧困の大家族に育ったせいなのか、早食いで、料理を愛でるという趣向が彼にはないのだ。

多恵は急に弱気になった。一度くちゃくちゃと咀嚼音が気になると、もうどうしようもない。
食事に生理的な嫌悪を感じるのだから、ベッドのなかでもきっと不快だろう。
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