ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
ふと、玲丞のことを考えた。

彼はグルメだった。
理玖が遊びで作る(内心は司に褒められようと必死だったと思う)創作料理のエッセンスを言い当てるし、彼自身、料理が好きで、休日には自らランチを作ったり、夕飯の支度や後片付けも率先して手伝ってくれた。

フレンチやイタリアンが得意で、旬にこだわり、演出にもこだわる。
野菜や果物で器を作ったり、皿に季節の草花を添えてみたり、ソースで絵を描いてみたり、手先が器用で色のセンスが抜群にいい。

〈芸術家みたい〉

多恵が感心して言うと、いつも嬉しそうに笑った。

〈本当は写真家になりたかったんだ〉

とも言っていた。

躾の厳しい家庭に育ったのだろう。食事の作法もスマートで、ペースも多恵にあわせてくれた。
何よりも、多恵が作った朝飯を、本当に幸せそうに食べてくれるのだ。

今頃は東京で、誰かと食卓を囲んでいるだろうか。

今朝、玲丞たちは多恵が出勤する前にチェックアウトしていた。予定より一日早いけれど、残りの宿泊料も支払っていったと、本多から報告を受けている。

昨夜のことで出発を早めたのだろうか。
プールサイドで玲丞と会って、八つ当たりのように絡んだことは覚えている。目が覚めたら、客室のベッドで眠っていた。

最初から最後まで迷惑な女だったと自分でも思う。きっと呆れて今度こそ見限られたに違いない。
それこそ多恵の思惑通りなのだけれど、どうしよう、この胸の痛み。

「もう少しお呑みなさい」

黒川にぬる燗を差し出され、多恵は盃を手にした。

多恵の器は一向に変わらないのに、黒川の元へはすでに椀物が運ばれている。窓の外はすでに群青色の闇だ。もたもたしてはいられない。

「会長、ポラリスのことですが──」

「ああ、それね」

椀汁を吸い込む無粋な音に、多恵は不覚にも次の言葉を見失ってしまった。
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