ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?

「それで、これからどうするの?」

「まだ考えてない。まずは、従業員たちに何とか条件の良い就職先を探して、それからね、自分のことは」

「ユキも、とことん苦労性ねぇ」

自分が仕損じたのだからと、多恵は心の中で言った。

黒川との密約は破談した。
多恵はいく度も謝罪と再交渉の場を求めたけれど、黒川は腫れ物に触るように多恵を避け続けた。顔に泥を塗られて、えげつない報復をされても止むなしと覚悟していたから、良かったのか悪かったのか、拍子抜けもいいところだ。

多恵がティーカップに口をつけるのを待っていたように、司は訊ねた。

「あれから彼には逢った?」

いずれはその話題になるだろうと覚悟はしていた。
それでも、あまりに唐突な振り方で、多恵は返答に詰まった。
理玖も瑠衣をあやすふりをして、しっかりこちらへ耳を向けている。

「彼、あんたがいなくなってからもザナデューによく来てね、ユキはボストンに戻ったって言っても信じてないみたいで、いつも閉店まで独りで寂しそうに呑んでた。ドアが開くたびに振り返る姿が切なくって……」

理玖がうなづく。

「そりゃ、初めのうちは、あんたを傷つけたことに腹を立てたけど、何だかあんまり気の毒で、何度も口を滑らしそうになったわ。そのうちパッタリと来なくなったけど、諦めちゃったのかしら……」

「司がきついことを言うからさ」

「ツカサ、か」

ここで茶化すのは軽薄だ。けれど自分を落とさなければ、とてもその先へ踏み込めそうになかった。

多恵は、感情を読まれまいと、子どもに顔を移して表情筋を緩め、さらっと言った。

「夏に、ポラリスに来たわ」

「ほんと? それで?」

何を期待しているのか、司も理玖も目を輝かせて身を乗り出してくる。

「それだけ」

「それだけって……。あんたに逢いに行ったんじゃないの? 偶然だったの?」

「偶然じゃないわ。他に目的があって、来たのよ」

「他の目的って?」

多恵は口元に自嘲を浮かべた。
それから一つ大きく息を吐くと、怪訝な司を真っ直ぐに見つめた。

「司、お願いがあるの」
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