ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ？

2 『亡霊に嫉妬することほどやり切れないものはなかったわ』

「あなたも食えないひとですね」

からかうような嫌味を聞き流しながら、多恵はテーブルに並べた書類を手際よく鞄にしまった。

黒を基調としたスタイリッシュな社長室。一見シンプルだけど、アーティスティックなカンファレンステーブルも、窓際に堂々と鎮座するデスクも、応接セットも、どれも一点物だろう。東京タワーを望むパノラマウィンドウすら、意匠の一部に思えるほどだ。

ガラスのオーナメントで飾りつけられた樅木はさておき、さすがは財界大所の御曹司、センスはよろしいらしい。

「まさか、森を分割譲渡していたとは。実に、狡猾だ」

多恵は、テーブルの上で指を組み恨めしげな視線を投げてきた男に、ふてぶてしい笑みで応じた。

「あなた方から、カンナビを守るために講じた、苦肉の策です」

「譲渡先がみな、あなたの眷属と言うのは、資産隠しではないのかなぁ」

「違法かどうかは、そちらの弁護士(・・・)の方にお訊ねください」

末席で伏し目がちに対座する相手には一瞥もくれず、多恵は椅子を引いて立ち上がった。

「それでは、私どもはこれで。松苗先生、参りましょう？」

「あ、待ってください、幸村さん」

後ろ髪を掴まれるように足を止めて、顎をしゃくり上げる。舌打ち寸前の顔で振り返った多恵は、あからさまに不快感をにじませた声で問い返す。

「まだ何か？」

男は立ち上がった拍子に乱れたロン毛をかき上げると、先ほどとは打って変わった馴れ馴れしい笑顔を浮かべて言った。

「せっかく東京までご足労いただいたのだし、この後、夕食でもいかがですか？」

「行きません」

「そう言わずに。妻がお詫びをしたいと、赤坂の料亭を予約して待ってるんですよ。まあ、あれは、そっちが勝手に誤解したんだけどね」

多恵は、聞く耳持たぬと出口へ向かった。

背後で、腹を括ったような椅子の音がして、大股の足音が追ってきた。
多恵がドアの前で足を止めると、ぴたりとその気配も止まった。

「多恵──」

振り向きざまの平手打ちは、快感と言いたくなるほど爽快な音を響かせた。