ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ?
二十歳でフランス・コルトンブルーのディプロマを取得。いくつものコンクールで入賞した天才パティシエールなのに、最優秀賞受賞の記念撮影でもニコリともしなかったという逸話もうなずける。
協調性の欠片もなく、菓子作りへの執念にも似た情熱とプライドだけは高いから、どこのパティストリーでも一月と続かなかったらしい。
女性客から大絶賛の可憐でヘルシーな創作デザートの数々を、こんな目つきの悪いドスの利いた女がつくっていると知ったら、みんな魂消るだろう。
些細なことで機嫌を損ね、それを秋葉がよせばいいのにおちょくるものだから、二年前にGMが知人の紹介だと彼女を連れてきたときから、いつ厨房に包丁の雨が降るかと、毎日ハラハラドキドキしっぱなしだ。
〈二匹の猛獣を両腕として従えている伊佐山の人徳もすごいけど、その二人に何気に可愛がられている純平くんは、ある意味大物なのかもね〉と、皮肉屋の菜々緒に褒められても、どう捉えてよいものか考えてしまう。
〈いつも愉しそうでいいなぁ〉と、大和は羨ましげに言うけれど、誰からも好かれてしまう(いじられてしまう?)天然キャラの彼とは違い、こちとら空気を読んで立ち回っているのだ。
「グラン・シェフ、今夜のメニューを確認させてください」
伊佐山の手が初めて止まった。
デシャップの向こうに、予約表に目を落とす多恵の姿があった。
テレビで観るより実物の方が数百倍も別嬪だと、純平は思う。
きゅっと締まった足首、華奢な体にDカップの美乳は若者には目の毒だ。
いつもクールで厳然としているけれど、ふとした笑顔はめちゃくちゃ可愛い。
何と言っても、潰れかけたホテルを一年で建て直したのだから、外資系コンサルタント会社勤務の経歴は伊達ではない。
厳しいコストコントロールで見せた経営手腕も、次々と打ち出す新しい営業戦略も神業だった。
何よりも、ゼネラルマネージャー自ら経理、事務、営業はもとより、セルヴーズにソムリエ、ルームキーパーから庭の手入れまで、八面六臂に活躍して人手不足を補う姿勢が、従業員たちの心に響いたのだ。
それ以前に、フェルカドのコックも含めて、はしこいスタッフたちはすでに転職していたのだから、必要に迫られてのことだろうけど……。
秋葉にも、伊佐山の説得を条件に、黒川興産から引き抜き話が執拗にあったと聞く。
そのたび彼が冷笑をもって一蹴したのは、いかな高額報酬を提示されようとも、伊佐山がポラリスを裏切ることは絶対にないと、確信しているからだ。