ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「書類に不備があったのなら、もっと早く、然るべきご教示をいただけるのが筋ではありませんか。それも八年も前のことを今になって……」

「当時の支店長や融資係の責任を、ここで私どもが問うことはできません」

次長は、銀縁眼鏡のブリッジを中指でつと上げながら、ぬけぬけと言う。

「財務諸表とリスケジュールを、もう一度ご覧になってください。ようやく集客率もよくなって、これからというときなんです」

「コンサルタントファームご出身の方に、口幅ったいことだと承知で申し上げますが、宿泊客数が増えても、採算が合わないのでは論外です。特に、要因となっている飲食部門に、何の改善も見られません」

中肉中背、地味な顔立ちは、ドラマのエキストラに出てきそうなサラリーマン。しかし、この若さで大手銀行の次長に収まっているのだから、相応の切れ者なのだろう。
一筋縄ではいかないと思うと、かえって燃えてしまうのが多恵の性分だ。

「フェルカドはポラリスの要です。食材の質を落とすわけにはまいりません。その分、一般経費の見直しで充分にカバーしています」

「水野からの報告では──」

あのハゲネズミめ、と多恵は心の中で舌打ちした。

水野は、銀行から派遣されたFC(財務コンサルタント)だ。人件費削減と経費節約ばかり唱える安直コストカッターで、チョコマカと小うるさい。
何度も数字で突き返して鼻っ柱をへし折ってやったから、ろくな報告はしていないだろう。男のくせにねちこいったらありゃしない。
そもそも、削れる費用なんて、もうどこにも残っていない。

「客室部門利益率65%、料飲原価率40%──いくら人件費を削っても、営業総利益が上がる見込みはないそうです。黒川興産が手を引かれる以上、残念ながら私どもこれ以上はご支援できかねます」

寝耳に水だった。事の重大さを認識するまで、数秒かかった。

「……えっ⁈ 黒川会長が? ポラリスから手を引くと仰ったんですか?」

「近いうちにお話があるでしょう」
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