ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
空調の効きが悪い古い蛍光灯の部屋、古ぼけた応接セットに安物のコップに入れた生温い麦茶。
ポラリスに対する仕向けのような気がして、多恵は負けじと詰め寄った。

「書類の不備があったのでしたら、気づいた時点で然るべきご教示をいただけるのが筋ではありませんか。それも五年も前のことを今になって……」

「当時の支店長と融資課長の責任を、ここで我々が問うことはできません」

次長は銀縁眼鏡のブリッジを中指でつと上げながら、非難の如何を差し置いて、ぬけぬけと言った。

「財務諸表とリスケジュールを、もう一度ご覧になってください。ようやく集客率もよくなって、これからというときなんです」

「コンサルタントファームご出身の方に口幅ったいことだと承知で申し上げますが、宿泊客数が増えても採算が合わないのでは論外です。要因となっている飲食部門に、何の改善も見られません」

中肉中背、平凡な面貌は、ドラマのエキストラに出てきそうなサラリーマン。しかし、この若さで大手銀行の次長なのだから、切れ者に違いない。
一筋縄ではいかないかと、かえって燃えてしまうのが多恵の性分だ。

「フェルカドはポラリスの要です。食材の質を落とすわけにはまいりません。その分、一般経費の見直しで充分にカバーしています」

「水野からの報告では──」

あのハゲネズミめ、と多恵は心の中で舌打ちした。

水野は銀行から派遣されたFC(経理担当)だ。人件費削減と経費節約ばかり唱える安直コストカッターで、チョコマカと小うるさい。何度も費用対効果を実例に鼻っ柱をへし折ってやったから、ろくな報告はしていないだろう。男のくせにねちこいったらありゃしない。
第一、削れる費用なんてもうどこにも残ってない。

「客室部門利益率65%、料飲原価率40%、いくら人件費を切り詰めても、GOP(営業総利益)が上がる見込みはないそうです。黒川興産が手を引かれる以上、残念ながら私どもも諦めざるを得ません」

寝耳に水だった。事の重大さを認識するまで、数秒かかった。
< 20 / 154 >

この作品をシェア

pagetop