ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?

──もう、絶対に禁酒する!

いくどそう心に誓ったことだろう。
酒癖がよくないことは、自覚している。気心知れた司の店ではつい箍が外れて、暴走してしまうこともしばしばだ。

ある一線を越えるとスイッチが入ったように熱弁をふるい、説教魔と化し、誰彼構わず絡むというオヤジ顔負けの悪行を働くらしい。
らしいというのは、その時点で記憶がうやむやになっているからだ。

それでも、今まで過ちはなかった。
たとえ夢遊病状態でも、帰巣本能で家路は脳にインプットされていて、必ずや自宅に辿り着いているものだと、何の根拠もなく信じていた。それなのに……。

連れ込んだのか、連れ込まれたのか、(どっちでも同じことか)、ともかく、名前も知らない男と、そういうことになってしまった。

──いや、未遂か? いくら何でも、少しぐらい痕跡が残っているはず。

「……」

問題なのは、記憶がまったくないということだ。どんな醜態を演じたのか、想像することすら恐ろしい。

──うわぁ、どうしよう……。

──いや、待て。今は後悔などしている場合ではない。
〈立ち止まって後悔する人間は、失敗を取り繕うことばかり考えて前には進めない。失敗は経験として認識さえすればいい〉と、敬愛する南州公も仰っているではないか。

──うんうん、西郷さんの言うとおり!

今、せねばならないことは、一刻も早く自宅へ戻り服を着替えて出社すること。
このままではかまびすしい女子たちの格好の餌食だ。かげで何を噂されるかわかったもんじゃない。

──とにかく、敵が目覚める前に、とっととズラかろう。

思うが先か、タオルケットを体に巻き、ナイトテーブルに畳まれた衣類をむんずと掴み、洗面室らしきドアのなかへ尻に帆かけて飛び込んだ──とたん、多恵は「あっ!」と、後ろに飛び退いた。

待ち受けていたように、薄暗い部屋に佇む女がいる。

多恵は死ぬほど狼狽えた。五年もつき合った恋人から、前触れもなく別れを告げられたときでさえ、これほど取り乱したりはしなかった。
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