ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ？

3 『いい歳をして据え膳食わねばでがっつく男もどうかと思う』

街は今夜も蒸している。

辰巳たちを乗せたハイヤーを見送った多恵は、暑さか寒さかわからぬ汗を拭った。

──やばかった。

目が合ったのは一瞬。きっと人違いだと思い直すはず。とにかく、胡蝶はしばらく使わない方がいい。
そう思って踵を返したそのとき——多恵は、そのまま石になった。

「ユキさん」

上着を腕に掛けたYシャツの男が、爽やかに微笑んでいる。

「こんばんわ」

──最悪。

多恵は天を仰いだ。追いかけてくるなんて、粘着質な男だったか。

「なかなか抜けられなくて、すみません。これからザナデューに向かおうと思っていたんです。よかった、ここで会えて」

「はあ？」

「それじゃあ、行きましょうか」

言うやいなやタクシーに手を挙げる男に、多恵は泡を食った。

「行くって、どこへ⁈」

「お約束どおり、美味い蕎麦をご馳走します」

「そんなこと、約束しました？」

口調の強さほど自信はない。充分あり得る。酔うとお喋りで我が儘な口なのだ。

タクシーが前に止まり、自動ドアが開く。
男にどうぞと先を譲られて、多恵はしぶしぶ乗り込んだ。

とにかく、会ってしまったものは仕方がない。胡蝶の客だし、後で変な詮索をされるくらいなら、今のうちに釘を刺して置いた方が賢明だ。

「道玄坂」と、男は告げた。

「道玄坂ねぇ」と、男の下心を鼻先で嗤って、多恵はこれ見よがしにバッグをふたりの間に衝立てた。