ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?

向かった蕎麦屋が閉まっていて、浜松町まで足を伸ばしたことは、薄ぼんやりと思い出した。

そこものれんが下ろされていて……。
誰かと強引に指切りげんまん……?
そうだ、酔っ払いのおっちゃんに絡まれて──。

「あ⁈」

玲丞はうんと頷いた。

「見事な一本背負でした」

多恵は思わず頭を抱えた。
あれは、いきなり背後から抱きつかれて、体が反射してしまったのだ。

……その後の記憶は曖昧。
なぜか笑いながら走っていたような……。

──イタイ、イタすぎる。

「あのぉ、相手の方は?」

「怪我はなかったようです。ずいぶん酔っておられましたし、連れの方に名刺を渡して、タクシーで帰っていただきました」

「すみません、初対面の方にご迷惑をおかけしてしまって……」

「実は初対面じゃないんです。 胡蝶で何度かお見かけしてました。ああいう店に女性客は目立つので」

昨夜、やけに人懐っこい男だと感じたのは、そう言うことか。

「念のため、知り合いの警察関係者に確認しましたが、被害届は出ていませんでした。あなたがそれを気にしてるのかと思って」

「いえ、それは、その……、すっかり忘れていました。すみません!」

玲丞は呆れ顔をした。

「もしかして……今夜の約束も忘れてました? 指切りまでしたのに?」

「面目ない」

玲丞は愉快そうに笑った。

「それなら、今夜こうして会えたことは、奇蹟なんですね」

いいひとだ。運悪く酒乱の女に捕まって、散々愚痴やら講釈やらを訊かせられた上にトラブルに巻き込まれ、正体を失った女の介抱をしてくれたとは、今どき奇特すぎる。それを……。

──散々悪く言って、ごめんなさい!


そのとき、店の扉がカラリと音を立てて開いた。
夜気に乗って、生ぬるい風が流れ込む。

「──あら? リョウさん、ここにいたの?」

暖簾を手の甲で押し上げて現れた女が、驚いたように声を上げた。

オーソドックスなツーピースに、小ぶりなハンドバッグ。
一見、穏やかなOL風──のはずなのに、夜だというのに濃い色のサングラスで顔を隠している。このひともまず〝ただ者〞ではなさそうだ。
どこかで見たような気がするけど……。

「リンちゃん、怒ってたよ、置いてけぼりにされたって。おかげでケイさんが捕まっちゃって……。今、来るけど」

女が背中を反って振り返るのを見て、玲丞は藪から棒に耳打ちした。

「出ましょう」

「え?」と聞き返す暇もなく、玲丞はスッと多恵の腕を取り、立ち上がった。

「ちょっと、リョウさん?」

玲丞の背中越しに、女が怪訝そうに眉を動かすのが見えた。

──この人、何者?
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