ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
高校は女子校の寮生活、十七歳で渡米して、二十五歳のとき父危篤の報を受け帰国した。ちょうど東京支社への転勤が決まっていたこともあって、葬儀のあと初七日も待たずに上京して、以来、多忙を理由に一度も実家に足を運んでいない。

田舎は懐かしいけれど、戻ったら戻ったでいろいろと鬱陶しいことになる。

(くいぜ)を守る古老たちは、いまだに多恵を本家当主と上席に置きたがる。とかく彼らは席次に泥むから厄介だ。
多恵が帰省すれば、未亡人である中里の母を差し置いて、施主の席に担がれるのは目に見えていた。
そうして彼女は歓んで、なさぬ仲の娘にその座を譲るだろう。

さらに、本家の血脈を絶やすなと、縁談を喧しく迫る世話焼き婆もいる。それもまた七面倒くさい。

「厄年に子どもを産むと、厄落としになるって、ばあちゃんが言ってたっけ」

「理玖、それ、私にじゃなく、司に言いなさい」

シェイカーのリズムがとたんに情けなくなった。

彼は司を愛している。それは傍で見ていても痛々しいほどの惚れっぷりだ。

だがいかんせん、司は一国一城の主で、仕送り頼みの学生には彼女を養うだけの力はない。

この店には、艶麗な顔立ちのくせに聡明でさっぱりした司を目当てに、足繁く通ってくる常連客も多い。中には年齢も経験も重ねたステイタスのある男性もいて、海外出張の土産だと高価な品をさりげなく贈られるのを、理玖はいつも辛そうに座視していた。

理玖が煮え切らないのは、司より七つ年下というコンプレックスがあるのだ。

心の底ではもどかしいのに、司は決して手を差し伸べることはしない。
今も聞こえていたくせに、素知らぬ顔で調理場から戻ってきた。

「今夜は、彼氏は?」

オーガニックな温野菜とローストビーフ、それに温めたオニオンスープを多恵の前に置いて、司はしれっと言った。
二日とあけず仕事帰りの夜半に訪れる客は、注文を訊かれた試しがない。

「そんなんじゃないわよ」

多恵はホワイトレディーのグラスを光に翳して、惚けた。

「でも、つき合ってるのでしょう?」

「つき合ってるって言うのかなぁ?」

「いつも一緒に帰るくせに」

「別に約束しているわけじゃないもの」
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