ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?

7  『生きている人間はつらいはね。美化された死者と常に比べられる』

ドアを開けると、玄関マットの上で、はなが行儀よく出迎えていた。

多恵に続いて玲丞の姿が見えても、逃げるどころか、長い尻尾をぴーんと立てて、足元に頭をすり寄せている。

「お腹、すいてるんだね?」

玲丞がキャットフードを皿に入れるのを、はなはくねくねと尻尾を揺らしながら、おとなしく座って待っていた。

この人嫌いの猫が、なぜか玲丞にだけは懐いている。

──まあ、懐いてるというより〝家来扱い〞してる感じだけど……。

「着物、しんどいでしょう? 先にシャワーしておいでよ。その間に用意しておくから」

「用意?」

「うん、楽しみにしていて」

玲丞は、鼻歌まじりに冷蔵庫を開けている。夜食でも作るつもりなのか。彼の謎の行動はいつものことだ。
多恵は、遠慮なくバスルームへ向かった。



「わっ、すごいね」

おしゃれにセッティングされたリビングテーブルに、多恵は驚きながら苦笑した。
こんな真夜中に、いったい何を始めるつもりやら。

ふと見ると、留守番電話が点滅している。
多恵は、濡れた髪をタオルで乾かしながら、再生ボタンを押した。

〈多恵さん、静枝です〉

静かで、どこか寂しげな声。
多恵の動きが、ぴたりと止まった。

〈お変わりありませんか? 今日、山岡さんからいただいた蜜柑を送りました。こちらは皆、元気です。多恵さんも、あまり無理をしないでくださいね。それから──〉

物言いたげな間があいて、〈一度こちらへ〉という言葉が、再生終了の音とともにかき消えた。

「間違い電話?」

カウチソファーへ顔を向けると、玲丞が、はなに足元をスリスリされ、困ったようなデレ顔をしながら、シャンパーニュの栓を抜いていた。

多恵は、答えにくさを誤魔化すために、録音を消去しながらそっけなく言った。

「いいえ、実家から」

「でも、タエ(・・)って……」

五つくらい疑問符を浮かべたような沈黙。からの──

「ええっ⁉」

吹っ飛んだコルクに、金色の目がキラリと光り、はなが獲物を追うみたいに飛びかかった。
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