ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「多恵さんがお戻りにならないのは、私のせいなのです。中里が亡くなって、私が社長に就任したとき、息子を後継者にするために中里に遺言書を書き換えさせたと、厳しくお叱りになる方もいて……。多恵さんはご自分が帰省されることで、再び私の立場が悪くなることを憂慮してくださっているのです」

静枝は苦しい息を継いで、いまだかつて見たことのない厳しい顔を航太に向けた。

「多恵さんが相続を放棄されたのは、私たちのためですよ。幸村の当主は一度他家へ譲ったものを惜しむことはしないと仰って、屋敷からの退去を迫るご一党から私たちを守ってくださったのです。そのうえ、相続税の支払いさえままならなかった私のために、私財を処分して用立ててくださった。確かにお父さんが亡くなったとき、ポラリスに負債はありました。でも、返済は可能な額でした。その後、負債を増やしたのは、社長としての私が至らなかったからです。あなたが多恵さんやお父さんを責めるのは以ての外です」

静枝は多恵に向き直ると、

「本当に、申し訳ございません」

体が二つに折れるかと思うほど腰を折った。

多恵は鼻白んで顔を背けた。
静枝ほど多恵を理解しているひとはない。わかっているのに、素直になれない。静枝の思いやりが深ければ深いほど、やはり他人なのだととらえてしまうのだ。

多恵が中里の姓であれば、少しは母娘らしく接せられたのだろうか。
逆にまったく赤の他人であったのなら、感情が揺さぶられることもないのに。

重い沈黙があって、ようやく静枝は切り出した。

「私は多恵さんの意思にすべてお任せいたします。お母様の夢であったポラリスの行く末は、娘のあなたにしか決められません。お父様の遺言は、そう言う意味なのです」

多恵はカッと顔を向けた。

「無責任なことを言わないで!」

言葉はしかし喉の奥で止まった。ただ頭を垂れる静枝と佐武の、老いと困憊で小さくなった肩を見ていると、何も言えない。

多恵は怒りの矛先を失って、ものも言わずに病室を飛び出した。
< 65 / 154 >

この作品をシェア

pagetop