ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ?
「よろしければ、こちらをご覧ください」
菜々緒はパンフレットを差し出しながら、柔らかく続ける。
「スパで、アロママッサージのご用意がございます」
女はパンフレットに一瞥をくれると、つまらなさそうにペンをくるくると回した。 その指は、少し骨太だけど水仕事をしないような瑞々しさで、爪には繊細なネイルアート、左手の薬指にはプラチナのマリッジリングが光っていた。
ペンを置いて上げた顔に、菜々緒は思わず息をのんだ。
切長の一重、横幅の広い艶のある唇、鼻が高くしっかりとしたフェイスラインは、中性的で不思議な色気がある。若造りだけど、年齢は三十代半ばから後半だろうか。
美容系の実業家で、さっきから落ち着きなく辺りを見回している男は、髪結いの亭主といったところだろう。
「マッサージねぇ……。いいわ、すぐに予約してちょうだい」
「かしこまりました。スパは、エレベーター奥の通路を抜けた先にございます。お時間とコースの詳細は、後ほど係よりお部屋へご案内させていただきます」
「ひっどい田舎道だったから、体のあちこちが痛くてしょうがない。ねえ、あれって何とかならないの?
岬の道はホテルの私道で、定期的に整備されている。
たしかに農道は凸凹も多いけれど、それは行政の問題だ。ホテルに言われても困る──。
と、心の中で反論しながらも、〈どんなクレームにも、まずは共感を持って〉── GMからの指導を忠実に実践して、菜々緒はプロの笑顔で応えた。
フロントマンたるもの、内心のツッコミは見せない。
マニュアル通りねと言いたげに、カオルが鼻を鳴らした。
「あとで荷物が届くから、よろしく」
「かしこまりました。お部屋は、301号室でございます」
そう言いながら、本多は木製キーホルダーのナンバーを確認し、
「こちらが、お部屋の鍵でございます」
一切の無駄なく、カウンターに静かに差し出した。
この無駄のない優雅な所作に、きっとゲストは質の高いホスピタリティを感じるだろう。──そんな菜々緒の期待を裏切って、カオルはそっけなく鍵を鷲掴みすると、すでに踵を返していた。