ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
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思えば、幸村家は短命だ。
祖父の兄弟は戦争や病気で、みな若くして世を去った。曾祖父も還暦を迎えることなく病で亡くなっている。
母には長兄がいたが、彼もまた病で夭逝したという。

幸村家に男子が育たないのは、勇猛果敢と名を馳せた先祖が、大勢の命を奪った報いなのかもしれない。
元禄の頃には、周辺諸藩の金融を一手に握ったという豪商でもあったそうだから、恨みを買い、呪詛を受けた可能性も否定できない。

だから祖父は、〈男女を問わず第一子〉を養子に望んだのだ。

幸村の血と関わりのない静枝が、幸村家の人身御供として命を縮めたと言うのなら、末裔の自分が先に死ねば、彼女は助かるのではないだろうか……。

埒もないことを考えている自分に気づいて、多恵はネガティブな思考を追い払うように、もう一度両手で頬を叩いた。

「蚊ですか? 姫様」

まずい相手に見られてしまった。
振り返ると案の定、豊子が太く垂れた眉をいっそう八の字にし、下ぶくれの顔であたりを見回していた。

「客室に電子蚊取をご用意しましょうか。カレンソウとスイートバジルの蚊除けでは、少々心許ないですからね」

最古参のハウスキーパーは、もとは幸村家の家政婦で、祖父母の死後、永和を支えるためにホテル幸村の従業員となった。
頼もしすぎるほどの働き者で、お節介がすぎるほどの世話焼き。地声はやたら大きい。

夫の早坂は、かつて幸村家に出入りしていた庭師だ。小柄で身が軽く、陽気でフットワークも軽い。
今は、ポラリスの庭を、ほとんど無償で手入れしてくれている。幸村家への恩義はもちろんだが、四苦八苦する多恵を見かねた豊子が、彼を泣き落としたのだろう。

彼らの〈ノミの夫婦のめおと漫才〉は、軽妙な掛け合いで毎日ホテルに笑いをもたらしてくれる。

豊子は、ドラえもんのような前掛けのポケットから小瓶を取り出し、多恵の顔をまじまじと見つめた。

多恵は「やばい」と目をそらした。

「あ、いい、いい。刺されてないから」

「そうですか? 差し上げたお薬はまだありますか? 姫様はお肌が弱いから、これでないと──」

小瓶を握らせようとする豊子をいなすように、腕時計に目をやる。ちょうど館内見回りの時刻だった。
体がいくつあっても追いつかぬGMは、ここぞとばかりにその場を逃れた。

豊子お手製の万能薬には、赤ん坊の頃からいやというほど世話になっている。市販薬とは比べものにならない効き目だけど──なにせ臭い。
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