ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?

3 『悪魔のようなカオルは天使をも封じたのかもしれない……』

「ル・モンラッシェが飲みたいわ」

コバルトブルーのワインリストをすっと開いたカオルは、試すような上目遣いで多恵を見た。

「ラモネ、コント・ラフォン、エティエンヌ・ソゼのグラン・クリュをご用意しております。本日のお料理には、クリオ・バタール・モンラッシェ──ロジェ・ベランのグラン・クリュなど、いかがでしょうか」

白のスタンドカラーシャツにカマーベスト、黒のパンツに着替えた多恵は、視線を合わせもせず答えた。

少しホールの照明を落としているのは、天井まである連双窓の外、ミモザの生垣の葉隠れに揺れる、幻想的な青白いプールの灯りを愉しんでもらうためだ。

とりわけこの一番テーブルのロケーションは格別で、芝庭に置かれたオレンジのガーデンライトが美しいラインを描き、その先には、いくつもの漁り火が揺れている。ゆっくり右から左へと移動しているのは、水平線近くを航行する外国船の灯りだ。

「やっぱり、ラモネよねぇ?」

玲丞に向かって小首を傾げる、あざとさ全開の仕草に、多恵は片頬を引きつらせた。

──この女、わかって言ってるのか? 

ラモネは、〝黄金の雫〞と称される至高の白ワイン。当然、リストにある通り──価格の方も堂々たるものだ。
玲丞は、知っているはずだ。

「あ? うん」

多恵は怒りを飲み込むように、目を閉じた。
カオルの言いなりに頷く彼に苛ついたのではない。気づかぬふりをしていても、ジッと見つめる視線が痛いからだ。妻の前でいったいどういう神経をしているのか。

多恵は大きく鼻から息を吸うと、営業用のスマイルを作った。

「かしこまりました」

サッと踵を返す多恵に、玲丞は「多恵」と言いかけたようだった。
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