ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
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ドアを開けた玲丞は、ワゴンの横で仰々しく一礼する航太に、あからさまに不快な顔をした。

「幸村さんは?」

「あいにく幸村は留守にしております。代わりに、サブマネージャーの私が申しつかりましたので」

「戻ってからでいいと、言ったはずだけど」

「残念ながら、いつ戻るかわからぬ用事でございまして」

「とにかく、幸村さんに来るように伝えてください」

「それでしたら、お食事の後にでもバーへお越しください。こちらはお預かりしておきます」

意地でも会わせるものかと、航太は目で言った。
君にいったいどんな権利があるんだ──と、玲丞の目が返した。
このストーカー野郎が──と、航太の目が迎え撃った。

むっとネームタグを確認した玲丞は、驚いたように航太の顔を見た。

「君、幸村さんの弟さん?」

意表を突かれて航太は仰け反った。中里の姓から幸村を結びつけられるゲストなど皆無だ。

「コタ君? 昔、多恵と一緒に桜の木から落ちたっていう──?」

航太の手から伝票ホルダーが落ちた。

このホテルがまだ〈ホテル幸村〉と呼ばれていた頃、現在はロータリーとなった場所にある姥桜に登ったことがある。
母に構ってもらえず、拗ねて心配させるつもりだった。
けれど、陽が落ちて暗くなっても、誰も捜しに来てはくれなかった。

心細くなって泣いていると、樹の下から多恵の呼ぶ声がした。
ようやく家に帰れると喜んだとたん、高さへの恐怖で身動きできなくなって、また泣いた。

多恵は器用に木を上ってきて、手を差し伸べた。

〈コタ、お空を見てご覧。天の川がきれいだよ〉

〈ほんとだ〉

〈さ、下を見ないで手を出して、怖くないから〉

航太が手を伸ばした瞬間、バキバキッと音がして、天の川が視界から遠ざかり、空へと昇っていった。

多恵は航太を庇って折れた枝の上に落ち、背中に酷い怪我を負った。
父と母は名医と呼ばれる医者を方々訪ねて治療させたけれど、傷跡は完全には消えないだろうと、どの医者からも告げられたらしい。

年頃の娘だ。多恵が体の傷を気に病まないように、この話はタブーになっていた。多恵もその話題には決して触れない。

「あ、あなた、何者なんですか?」
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