ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ?
「どうしたの?」
多恵は厳しい顔を向けた。
「あそこは、〝ミズハノメ〞と言う女神を祀る神域なの。男のひとには祟るのよ」
「ああ、そうなんだ」
のんきに泉を振り返る玲丞に、本当にわかっているのかと多恵は不安になった。
図らずも迷い込んでしまったのなら、女神も大目に見てくれるだろうか。
ふと、玲丞の嬉しそうな表情に気づいて、多恵は掴んでいた手を慌てて放した。
小恥ずかしさを隠すために、営業口調で言う。
「お部屋の注意書きをお読みになりませんでしたか? 森の散策は、遊歩道以外には立ち入らないように、お客様にはお願いしています。万一、野生動物に遭遇すると大変危険ですから」
「うん、ごめん」
この笑顔にいつも騙されてしまう。
そうはいくかと、多恵は突っ慳貪に言った。
「とにかく、遊歩道までお送りします」
「マンションの神棚に祀っていたのは、その女神様?」
歩き始めた背中に、玲丞は、まるでハイキングでも楽しんでいるかのような調子で、軽やかに問いかけてきた。
──一昨日の傷ついたような顔は、何だったのだろう?
「そうです」
ぶっきらぼうに答えた多恵は、はたと振り返って、玲丞に脅すような目を向けた。
「今、ご覧になったことは他言無用です。忘れてください」
泉の場所は秘中の秘、代々幸村家の女に伝えられ、村人はおろか一族の男衆さえも知らない。
泉はカンナビに生きるものたちの生命を支えている。貪欲な人間に知られて荒らされてはならないからだ。
「約束する」
多恵は念押しにもう一睨み利かせた。
彼が言うのだから心配はしていない。滅多に約束などしないけれど、一度口にしたことは必ず守る人だから。
そう言えば、ロマネ・コンティを手に、元旦にマンションにやって来たことがあった。
これ一本でサラリーマンのボーナスなんか吹き飛んでしまうのにと驚く多恵に、「多恵が呑みたいと言ったから」と彼は嬉しそうに笑った。多恵の方は本気にしていなかったのに。