社交界の毒婦とよばれる私~素敵な辺境伯令息に腕を折られたので、責任とってもらいます~

20 もう怖くない

 ターチェ伯爵夫人の企みは大成功で、リオ様とおそろいで作ったかのような衣装の効果はすごかった。

 リオ様も、ケガをした私を気遣って丁寧にエスコートしてくれるので、はた目には、私がリオ様の大切な人に見えたに違いない。

 ファルトン伯爵家のメイドたちは青ざめ、マリンは憎しみを込めた目で私をにらみつけていた。

 マリンのこの顔をターチェ伯爵夫人が見たら、大喜びしたかもしれない。

 パーティーは、ファルトン伯爵邸のホールで開かれるようだった。

 私がこの家に住んでいたときは、マリンの誕生日パーティーなどで使われていたけど、私は一度も参加を許されなかった。

 母が亡くなってからは、この家に良い思い出がない。

 隣を歩くリオ様が、そっと私の耳元でささやいた。

「メイドたちの様子を見る限り、あなたがこの家でひどい目に遭(あ)わされていたことは、簡単に証明できそうですね」
「そうですね……」

 それは、この家に住んでいる者なら、だれもが知っていることだから。

「問題は――」

 父が本当に祖父と母に毒を盛って殺したのか?

 リオ様は、いったいどうやってそのことを調べるつもりなのかしら?

 ファルトン伯爵邸に向かう馬車の中で、私はリオ様に「セレナ嬢はいつも通りにしてください」と言われた。

「いつも通りと言われましても……」

 私が困っていると、リオ様はニッコリと微笑む。

「大丈夫ですよ。あなたには護衛をつけます。今日はコニーも一緒です」

 リオ様が馬車の外を指さすと、フードを深くかぶった小柄な騎士が見えた。リオ様の護衛騎士エディ様と馬で相乗りをしている。

「あれがコニーです」
「え?」

「一時的にバルゴアの騎士に任命しました。女性しか入れない場所での護衛をしてくれます」
「コニーがですか? 危なくないですか?」

「もちろん、コニー以外の護衛もつきます。念には念を、です」
「そうではなくて……」

 コニーが危ない目に遭わないか心配だった。

 でも、コニーは『バルゴアの騎士になりたい』と言っていた。だから、コニーの夢を邪魔するわけにはいかない。

「……わかりました」

 リオ様とのそんなやりとりを思い出しながら、私はちらりと後ろに視線を送った。

 そこには、数人の騎士の中にまじり、フードを深くかぶったコニーもいる。コニーはこの家で顔を知られているので、フードで顔を隠しているのね。

 どうか何も起こりませんように。

 パーティー会場にたどり着くと、そこには、私の父であるファルトン伯爵が待ち構えていた。その隣には、派手に着飾った継母(ままはは)の姿も見える。

 それ以外の参加者はいないみたい。本当に身内だけの小さなパーティーなのね。

 リオ様に気がついた父は、にこやかな笑みを浮かべたあとに、私を見て眉間にシワをよせた。

「バルゴア辺境伯のご子息リオ様。ようこそお越しくださいました。……隣の方はどなたですかな? 招待していない者を連れてこられても困ります。それに、私の娘マリンが迎えに出たと思うのですが……」

 まさかと思ったけど、父は私がわからないようだった。いくら磨き上げてもらったとはいえ、マリンやメイドですら私だと気がついたのに。

 この人は、本当に私に興味がないのね、と今さらながらに思った。

 リオ様は気遣うように私の肩に手を添えると、父に向って淡々と話す。

「こちらにいる方は、あなたの娘セレナ嬢です」

 父と継母の目が大きく見開いた。信じられないといった様子で私を見ている。

「これがセレナ? まさか」

 そう言葉を漏らした継母に、私は「私が家に帰って来ては、いけませんでしたか?」と悲しそうな表情を浮かべる。

 すぐにリオ様が「そうなのですか?」と、不審そうに聞いてくれた。

「そ、そんなことはないわよ! ほ、ほほ」

 扇を開いて顔を隠した継母は、扇の向こうできっと盛大に顔を歪めている。

 か弱い演技ができるのはマリンだけじゃないのよ。むしろ、今までマリンの演技を見てきたおかげで、私でも簡単に真似できてしまう。

 父は「……とりあえず、リオ様はこちらへ」と言いながら私をにらみつけた。

「セレナ、ちょっとこっちに来い!」

 冷たい声に、吐き捨てるような言い方。そういえば、この人、私に対しては、いつもこんな話し方をしていたわね。

 ターチェ伯爵邸での生活が幸せすぎて、すっかり忘れていた。すぐに言うことを聞かない私にいら立ったのか、父が私の腕をつかもうと近づいてくる。

 それをかわすように、リオ様が私の肩を抱き寄せた。

「え?」

 予想外の行動に驚いていると、リオ様が父をにらみつける。

「セレナ嬢を乱暴に扱うのはやめろ」

 低く威圧感のある声。

 リオ様のこんな怖い声、初めて聞いたわ。私の前では、いつもニコニコ優しいリオ様なのに、今は別人のように冷たい表情をしている。

 リオ様の迫力にたじろいだ父は「いえ、そういうつもりでは」と言葉を濁した。

「じゃあ、どういうつもりなんだ? あなたのもう一人の娘もケガをしたセレナ嬢に抱き着こうとしていたぞ。あなた達はセレナ嬢への配慮が足りないのではないか?」

 黙り込んだ父は、するどく私をにらみつけている。

 その目は『お前のせいで、私が恥をかかされた』とでも言いたそうだ。

 私は、父の、この冷たい目がずっと怖かった。

 父の言うことを聞かないと、食事を抜かれる。飢えは死に直結する恐怖で、逆らう気力さえ失ってしまう。

 だから、今までずっと、私は生き残るために父の言いなりだった。

 でも、今は違う。

 私のことを助けようとしてくれる人達がいる。私の力になろうとしてくれる人達がいる。だから、私はもう、この目を恐れない。

 目をそらさずにいると、先に目をそらしたのは父のほうだった。

「……とにかく、パーティーを始めましょう」

 父が右手を上げると、パーティー会場に控えていた楽団が音楽を奏で始める。

 飲み物を運んできた使用人を、父は怒鳴りつけた。

「マリンは、どこだ!?」

 客人の前であんな風に声を荒げるなんて。

 今まで気がつかなかったけど、穏やかで品があるターチェ伯爵を見たあとだと、父の愚かさが良くわかる。

 リオ様が私の手をとると、その甲に口づけをするふりをした。

「!?」

 驚く私に「俺と踊っていただけませんか?」と場違いな提案をする。少しためらってしまったけど、私は誘われるままにリオ様の手をとった。

「私、踊れませんよ?」

 母が亡くなる前は、淑女教育を受けていた。でも、もう長い間ダンスの練習をしていない。

「踊るふりで大丈夫です。セレナ嬢は適当に音楽に合わせてください。絶対にあなたのケガを悪化させません。俺、体を動かすことは得意ですから」

 そういったリオ様は、私を完璧にリードした。私が何度も足を踏みそうになるのに、すばやくよけて踏ませなかった。

 スローテンポの音楽に、ゆったりとしたダンスだったので、ケガした腕に負担を感じることもない。

 そんな中、リオ様は私の耳元でささやいた。

「黒です」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「……黒」

 それって、もしかして、父が祖父と母に毒を盛ったことがわかったってこと?

「ど、どうして?」

 わかったのですか? という前にリオ様は「あなたに向けられる悪意が殺意です」と教えてくれた。

 父が私を殺したいくらい憎んでいる。その事実に、私は予想外に傷ついた。

 心のどこかで『父が毒を盛っていなければいい』と思っていた自分に気がつきあきれてしまう。

 父は、よく私の母を『あの女』呼ばわりしていた。私以上に母を憎んでいた。そして、母と結婚させた祖父のことも。

「そう……そういうことなのですね……」

 私の祖父と母を殺した殺人犯が今、目の前にいる。なんとかして、この殺人犯の罪を暴いて、祖父と母の敵(かたき)をとりたい。

「リオ様、証拠を探しましょう。毒さえ見つければ……」
「いえ、もし毒を見つけたとしても、それをあなたの祖父と母に使ったという証明はできません」
「では、どうしたら? あっ」

 ダンスのステップを間違えて体勢を崩しそうになった私を、リオ様がしっかりと支えてフォローしてくれる。

「毒を盛った実行犯を捕えられたら一番良いのですが、それも難しい。だから、現行犯で捕えましょう」
「現行犯?」

「そうです。今、ここで毒を使わせましょう。暗殺者が使う無味無臭の毒は、銀食器に反応します。でも、それ以外は、必ず何かしらの匂いがします。今のところ、無味無臭で銀食器に反応しない毒が存在するという報告は、バルゴアには入ってきていません」

 そういうリオ様は、ニコニコしているので、はたから見れば、私たちは楽しそうにダンスを踊っているように見えていると思う。

「匂いがあれば、飲む前に俺が気がつきます。問題は、どうすれば相手が毒を使うかですが……」
「それなら私に良い方法があります」

 あの殺人犯のことだから、マリンをリオ様と結婚させるために、このパーティーを開いたに違いない。

 だったら、私とリオ様が仲の良いふりをして、存分に見せつけたらいい。

 そうすれば、私のことを邪魔に思い、強硬手段をとるかもしれない。

 曲が終わった。ダンスを終えた私は、わざとらしくリオ様にしなだれかかった。

 驚くリオ様に、私は微笑みかける。

「私の演技に合わせてくださいね、リオ様」

 大丈夫。あの殺人犯は、きっと私の演技に騙されるわ。

 だって、私、男性をたぶらかしていそうな悪女や毒婦を演じるのが得意なんだもの。マリンに無理やりやらされていたことが、まさか役に立つ日がくるなんて思わなかった。
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