シュクルリーより甘い溺愛宣言 ~その身に愛の結晶を宿したパティシエールは財閥御曹司の盲愛から逃れられない~
一介のパティシエール

7 渡せなかったバレンタインチョコレート

 泣きながらいつの間にか眠ってしまったらしい。
 目が覚めるともうすでに日が昇っていて、慌ててシャワーを浴び、新しいコックコートに袖を通した。

 社員寮を出て、オーベルジュに向かう通路を歩く。
 ベリが丘という都会にいるのに、この場所だけはいつも小鳥がさえずり、のんびりとした空気が流れている。

 落ち込んだ気分を切り替えるように、その澄んだ朝の空気をいっぱいに吸い込んだ。
 
 ――大丈夫。いつも通りに。
 昨日のことは、なかったことにするんだ。

 よし、と気合を入れていると、向かいから料理長がやってきた。

「前埜さん! よかったここにいた」

「もうそんな時間ですか!?」

 部屋を出た時はまだ7時だった。
 料理長との打ち合わせは8時から、ミーティングは10時からだ。

「いや、まだ全然平気なんだけれどね」

 料理長はそう言いながら、こっちこっちと手招きする。
 慌てて料理長の隣に並んだ。
 二人で、厨房への通路を急ぐ。

「急で申し訳ないんだけれど、幾美家本家のご夫妻から今夜ご予約があったんだ。前埜さんに、ぜひ会いたいって」

「旦那様と奥様が……!」

 幾美家本家のご夫妻――慧悟さんの、お母様とお父様だ。
 二人の顔が脳裏に浮かび、同時に昨夜のことを思い出す。罪悪感が胸を支配し、ぶるりと身体が震えた。

「前埜さん、リラ~ックス」

 料理長はそう言って笑うけれど、私にとっては一大事だ。とてもお世話になったお二人が、ご来店される。

 私の胸にはずっしりと、先ほど切り替えたはずの気持ちが戻ってきてしまう。
 慧悟さんとのことは、何が何でもバレないようにしないと。
< 37 / 179 >

この作品をシェア

pagetop