呪われし森の魔女は夕闇の騎士を救う
 馬は城下町を出て、森に向かう。もうすぐ森に到着するという頃に、マールトは悩んだように言葉にした。

「エーリエ。これは、本当はノエルの口から言うべきことかもしれないけれど」

 彼の声のトーンが少し落ちたことを感じ取って、エーリエは言葉を返さずに彼を見た。

「ノエルは、幼少期にとある呪いにかかってね……五感をほぼ失って、音も何もない暗闇の中で、生きていた時期があったらしいよ。目も、耳も聞こえず、声も出せず、物に手が触れても何も感じない……ってところかな。日々、ただ息をしていた、みたいなことを彼から聞いたことがある」
「そんなに……! そんな、ひどい呪いだったのですか……!」

 様々な種類の呪いが世の中にはある。それらのほとんどは陰湿なものだ。エーリエが人の顔を見えないことも、わかりにくい陰湿な呪いの一つだと思う。だが、いくらなんでも、五感を奪うなんて酷い呪いだ。どうしてそんなことになったのか、ノエルが何をしたというのか、とエーリエは自分の腕に抱えた道具袋をぎゅっと強く握りしめた。

「それでね……君のお母さんが、ノエルの呪いを解呪したんじゃないかと、ノエルは思っているようなんだ。ようだ、ってのは、そこまではっきりしたことを彼はわたしには言わないのでね」
「あっ……」

「勿論、本当のところはわからない。今、その当時の王城に勤めていた、彼の解呪に立ち会った人々を探しているらしい。今、それを明かしても意味がないとは思うんだけど……仕方がないといえば仕方がないけど、彼の気がそれでは済まないらしい。その、ノエルから聞いたよ。君は、以前まで人の顔が見えなかったんだって?」

「あっ、はい、そうです」

 そう言えば、マールトにそのことを言っていなかったな、と思い出すエーリエ。

「君がかかっていた呪いの解呪と、ノエルに残っていた呪いの解呪が同じ術で行われるのは、偶然にしても出来過ぎている。呪術によって、解呪の方法も違うんだろう? だから、きっと、ノエルの推測は当たっていると思うんだ」
「実は」
「んっ?」

 エーリエは困惑の表情を浮かべた。

「実は、そうだって、わかっていました」
「えっ……?」
「ノエル様の呪いを解いたのは、わたしの母です……だって……ノエル様のお顔にあった赤い痕、ですか? それらが解呪された時……それは、わたしが自分の呪いを解呪した時と一緒だったのですが……今思えば、同じ色の煙が石に吸い込まれていて……あれが違う色でしたら、わたしもすぐに気づいたと思うのですが、同じ色だったので……自分の体から出た黒い塊のような大きな煙をすべて石に吸収したと思ったので、早く封印をしてしまいましたが……」

 だが、本当はノエルの体からも、細い黒い煙が出ていたのだと、今ならばわかるとエーリエは言う。

「うん」
「わたし、そこにノエル様のものが混ざっているとは、そのう、煙に覆われた視界のせいで気づかなかったんです。だけど、今日確信しました。今日ノエル様から出ていた煙は、わたしの解呪の時と同じもので……わたしにはわかりました。同じ……同じ術者の呪いだったんです。わたしたちのものは……」

 エーリエの話では、違う術者の呪いを同時に祓うことは難しいのだと言う。それは、最初にエーリエが自分の呪いを祓った後から知った話だったため、確信を得たのは少し時間が経過してからだったのだが……と説明をする。

「だから、きっと、同じなんだって」
「それ、ノエルには……」
「いいえ。話した方が良いでしょうか?」
「さあ、どうだろう。ノエルの気持ちはノエルにしかわからないからな……」
「マールト様にもわからないのなら、わたしにもきっとわからないのでしょうね」

 それには、マールトは答えなかった。それから彼らはようやく森の前に辿り着き、馬を止めてマールトが降りた。その後、彼の手を借りて馬から降りるエーリエ。

「ありがとうございました。あの、マールト様、これをノエル様に渡していただけないでしょうか」

 エーリエがごそごそと道具袋から取り出したのは、ノエルのための羅針盤だった。

「これは?」
「依頼いただいていた羅針盤です」
「ああ、出来たのかい。もう少し時間がかかると聞いていたが」

 そう言われてしまうと、エーリエはうまく誤魔化すことが出来ず、あの、とか、いえ、とかごにょごにょと困惑の表情を見せた。マールトは「はは」と笑ってそれを受け取る。

「間違いなくノエルに渡そう。エーリエ、今日は本当にありがとう。君がいなかったら、ノエルを失うことになっていた。心から君に感謝を」

 そう言って、マールトは右手で拳を作って胸に当てて肘を張る。それは、騎士団の正式な礼だったが、エーリエにはよくわからない。だが、彼女なりに「何かいつもと違う礼なのね」と気付いて、慌てて頭を下げる。

「いいえ、いいえ。本当に、お役に立ててよかったです。それから、ノエル様のお話もありがとうございました。では、石を封印しなければいけませんので、わたしはこれで」

 そう言ってエーリエは森に向かって駆けだした。羽根と葉で包んだ石を早く湖に沈めなければ、と彼女は走る。はあっ、はあっ、と息があがり、頬が赤くなっていく。ぱあっと森が開けて湖畔に到着をすれば、道具袋の中から石を取り出した。文言を唱えながらそれを湖に投げる。

 ぼちゃん、と水を裂いて石が落ちる音が響く。しばらくしてから、ボンッと音をたてて空に伸びる白い帯が姿を現した。そこを中心に大きく広がる波紋。やがて、それらは静かに消えて、何もないいつも通りの湖に戻った。

「はっ……はあっ……はっ……はあ……はあ~! やっと、やっと終わりました……」

 その場でエーリエは座り込んだ。呼吸が整うまで、荒く息をつく。

「ああ、マールト様に渡してしまいました……」

 ぎゅっと胸元で両手を握りしめて俯くエーリエ。

「お願い……」

 どうか、元気になって、来て欲しい。その思いと、いや、あの訓練所にいた貴族令嬢のように自分はなれないし……という思いと。それらがないまぜになってはいたが、それでも、彼に会いたい気持ちが強い。

 剣術大会まで、あと一週間程度。ノエル様がそれに出られるほど回復出来たら良いのだけれど……エーリエはそう思いながら、どっと疲れが出たので重い体を引きずるようにして家に戻っていった。
< 39 / 59 >

この作品をシェア

pagetop