呪われし森の魔女は夕闇の騎士を救う

2.出会い

 そんなわけで、ノエルは「魔女の羅針盤」を手に森にやって来た。だが、その森には人が行き来する道がほとんどない。馬を森の外に待たせ、とりあえず茂みからがさがさと中に入る。

「羅針盤は……」

 どう使うのかはよくわからなかったが、羅針盤を開くと、ぎゅん、と針が突然動き出す。その針が指し示す方角に彼は足を向けた。獣道でもなんでも、茂みの中だろうが、関係なしに歩く。実際、歩けばまるでそこに道があるかのように、不思議と何も困らない。木々が生い茂っているところを突っ込むのかと思っても、歩を進めるとそれらは障害物にならない。ならば、きっとそこは「道」なのだろう。その針の先は北でもなく、また、一方向を指し示すようでもない。時折針の方向が変わるので、それに従って彼は行くしかなかった。

 森に入って10分ほど。突然目の前が開けて湖が見えた。それまで、まったく水の匂いもしなかったのに、一気に周囲がぱあっと明るくなった気がする。まるで、自分が今まで歩いていた森が作りものだったかのように、湖を囲む緑の色は濃く、空は青く広がり、太陽の光は明るく水面にきらきらと反射をしている。それだけではない。不思議と空気も違う気がする。ノエルは一瞬言葉を失った。

(家が、ある)

 そして。湖に向かって、女性が一人。彼女は驚いた表情でこちらを見た。

 見れば「魔女」と言われても、なかなかそうは見えない風貌だ。胸下までの銀髪に菫色の瞳。茶色いフードつきのローブは薄汚れていて魔女と言えば魔女かもしれないが、どちらかというとその辺の町娘に見える。そんな彼女はふわりと可愛らしく微笑んだ。

「あら、ええっと……もしかして、いつもの方ではない……? 仮面をつけていらっしゃるんですね?」

 声は、柔らかい。彼女は魔女ではなく、魔女の召使いか何かかもしれない……ノエルはそう思いつつ、名乗った。

「魔女の家は、こちらで良いのだろうか……? 王城第三騎士団長、ノエル・ホキンス・ユークリッドと言う。第二騎士団長の代理で、ポーションを受け取りに来た」

「ユークリッド様とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ノエルでいい。家名はあまり好きではない」
「かしこまりました。ノエル様」

 名前は言った。そして、仮面を見せた。これで、大体その辺にいる者はみな「夕闇の騎士だ」とノエルを認識して、少しばかり怖がる。少なくとも城下町でも彼は少しばかり怖がられていた。どの店に行っても、店主は腰が引けて「う、うちに何の御用で……?」と聞いてくるほど。

 だが、彼女は彼をにこにこと見ているだけだ。その様子は、何の警戒心もないのかと思えるほど。

「ノエル様、どうぞ家の中に。今から梱包をいたしますので、もう少々お時間をいただきますね」
「わかった」

 そう言うとノエルは素直にエーリエについていく。家の扉を開けて中に入ると、ひとつのテーブルと二脚の椅子があったので、その椅子に座った。

「俺を疑わないのか」
「疑う?」
「そうだ。普段はマールトが来るのだろう? 俺が嘘をついている可能性もあるのではないか?」
「あら……」

 エーリエはきょとんとした表情でノエルを見た。じっと。それから、ふわりと笑みを浮かべて

「ここにいらしたのは羅針盤をお持ちだからですよね? ええっと、もしかしたら、羅針盤が盗まれたり、奪われたりって、そういうこともあるかもしれませんけど、騎士団の制服でいらっしゃったので……えっ、えっ……?」

 と、そこまで言っておいて、突然不安になったのか、慌てるエーリエ。

「あのっ、まさか制服も盗んだとか……?」
「大丈夫だ。羅針盤をマールトから正式に預かってな。彼は今日から遠征に出ているので、戻って来るまでの3か月は俺が来ることになった」
「まあ。そうなのですね。よろしくお願いいたします。では、少々座ってお待ちくださいね」

 そう言うと、返事を待たずに彼女はにこにこと微笑んで、ひとまず外套を脱いだ。それから、厨房の方へと歩いていく。呑気なものだ、とノエルはいささか呆れつつ、マールトが言っていた「少しのんびりしたところ」はこういうことかと思う。それから、彼はいくらかこの「魔女の家」に興味をひかれていたので、きょろきょろと辺りを眺めながら茶を待った。

 壁沿いにぐるりと書架が置かれており、床の上にも書物が積みあがっている。しかし、塵ひとつ埃ひとつなく掃除はされているようだ。雑然としているのに、それがこの家での「正解」なのだろう。

 それから、ドアをあけ放たれた奥の部屋。ほんの少しだけ見たが、大きな机にいくつものガラス容器が並ぶ。壁沿いの棚にはびっしりと何かよくわからない瓶詰めにされたものが並んでいる。床に上に置かれた麻袋の端からは、薬草がこぼれている。それらも雑然としていたが、不思議と「片付いていない」ようには見えない。不思議な空間だ、と感じる。

「ここには、一人で住んでいるのか?」
「はい。そうなんです」

 ああ、ならば彼女が魔女で間違いはないのか。ノエルは驚いて、何度か目を瞬かせた。いや、人を外見で判断をしてはいけないとはわかっているが、どうにも彼女は魔女には見えない。

(とはいえ、それもただの偏見か。魔女のなんたるか、というものを自分は知らないしな)

 やがて、彼女は茶を持って来た。カチャカチャとテーブルに茶器を置いた。生成り色の質素なワンピース。そして、首には大ぶりなペンダントをしているが、そのワンピースにはあまり合わないようにノエルには見えた。

「どうぞ、ポットに残りが入っていますので、なくなったら注いでくださいね」

 そう言うと、さっさと奥の部屋に彼女は行ってしまう。

 茶器は少し古いデザインだし、その辺の平民が使っているどこにでもあるようなものだ。ティーカップから立ち上る香りを嗅いで「良い匂いだな」とは思うが、ノエルは「茶なぞ、飲みはしないが」と手を付けない。

(マールトならば、飲んだかもしれないな……)

 だが、彼はマールトではない。そう簡単に外で他人から出されたものを口にしないのは基本中の基本だ。それでなくとも「魔女」と呼ばれる者から提供されたものなぞ、そう簡単に口にするわけにはいかない。

 やがて、数分すると奥の部屋からポーションを大量に詰めた木箱を彼女が持ってきた。

「お待たせしました。ポーション、50個です。軽量化の魔法をかけておりますので、森から出るぐらいまでは軽く持っていただけます」
「そんなことも出来るのか。ああ、5千メイルでいいか」
「はい。勿論です」

 ノエルは金を彼女に渡した。彼女は深々と頭を下げてから、顔をあげた。その菫色の瞳を見て、ノエルは「珍しいな」と呟いた。

「え?」
「その瞳の色」
「ひとみのいろ……?」
「ああ」
「えっと……」

 困ったように彼女は微笑んで、何かを言おうとした。その様子をノエルは不思議に思って「何だ?」と彼女の言葉を急かす。

「いえ、いえ、何も。何もありません」

 彼女はそう言ってから、気づいたように笑った。

「あっ、わたし、名乗っていませんでした……エーリエと申します」
「エーリエか」
「はい」

 名を呼ばれ、エーリエは笑みを返す。それが、彼らの出会いだった。
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