Once in a Blue Moon ~ 冷酷暴君の不可解なる寵愛 ~
「クロードさん」
ドアの向こうは、常識的な“玄関”という広さをまるっと無視した空間。
大理石が敷き詰められたそこで靴を脱ぎ、ふかふかのスリッパに履き替えたところで立ち止まって、彼を振り返った。
「今夜はありがとうございました。お忙しいのに迎えに来ていただいて」
疲れてるのに義務感だけで無理しなくていいんですよ、という不満は飲み込んでお礼だけを言う。
こんなことで雰囲気を悪くしたくない。
なんとか、頭一つ分以上上へと笑顔を向けた。
すると、彼はそのシンメトリーな美しい双眸をどこか眩しげに細め、首を振る。
「礼には及ばない。俺が勝手にやったことだ」
ほんの少し口調が甘くなった気がするのは、都合のいい気のせい……だよね。
自分にブレーキをかける一方で、そのまま会話を終わらせたくないって気持ちが抑えられず、傍らをすり抜けようとするその人の袖口をとっさに掴んでしまった。
「……茉莉花?」
「ぁああのっ、友達にお祝いでペアグラス、もらったんです。よかったら一緒に使ってみませんか?」
気軽な雰囲気を装って聞く。
まだ酔いが少し残ってるんだろうか。
香ちゃんや知依ちゃんたちに煽られたわけじゃないけれど、今夜はいつもより彼との距離が近く感じる気がして――
「……また今度な。悪い、今夜はもう少し仕事が残ってる」
けれど返って来たのは、感情を完全にコントロールした平淡な台詞。
あぁ、やっぱりダメかと失望が沸く。
すぐにそれを引きつった笑みで覆い、袖口からゆっくり指を解いた。
「そう、ですよね。お忙しいですもんね」
「茉莉花も疲れただろう。今夜はもう休め」
気遣いに満ちた言葉。労わるような眼差し。
どれも私に向けられたものなのに……透明なガラス越しに会話しているような、縮めきれない距離を感じるのはなぜだろう。
プロポーズの時にはこんなガラスの壁、なかったよね?
「……はい、そうします。お休みなさい」
これ以上その場にいたら、いじけた子どものように駄々をこねてしまいそうな気がして、慌てて身を翻し、私は自分の部屋へ逃げ込んだ。